昨日での打ち合わせで、すべことが多々あり、それを順番にしていたら、すでに夜が明けました。
他人の文章を読んでいると、考えに苦労しているという形跡があり、その苦労をどう解き放つかが、課題で、もしかしたら、それがとてもシンプルな意味での、解決なのかもしれません。
午後に、本橋さんと紀要発送の準備。この不況で印刷物を作ることは、かなり至難で、それゆえ書いた人にも執筆料を集めて、どうにか形なるものに。でも、とてもいいものができました。これをうまく継続していきたいと思います。
村上呂里先生の論を拝読。論を読むときは、その展開や構成にこだわりますが、実はその書いた人のモチベーション、あるいは内発的な活動としての意識をさぐることにあると思います。
藤原与一先生の考えた、子どもの言語習得過程の分析、それは、後に外国から入ってるプロトコル分析と同じことなのですが、すでに日本にそのような内発的なものがありました。それをどうとらえるか。
内発的ということ、それは、精神構造としてどのような影響関係があり、どのように現象を打開したかという点にあります。それを究明していくことが、真実への近道なのではないでしょうか。
論とは、そういう自分の問題意識、言葉への執着を解決していく道に他なりません。
岡崎玲子さんの本を2冊、職場の昼休みに読みました。9.11があのように自己の内部に新たなる思想を植え付けてしまったこと、そして、戦争に対する意識が変わったことが書いてありました。
それと、同時に、雑誌にこんな記事が。大震災において、外国の高官が不思議に感じたことは、関東大震災で非難した人が、そのような混乱状況において、泣き叫ぶ人はなく、こうべを垂れて挨拶をしたというのです。そして、静かに非難していたというのです。
ここに精神構造があると思います。それは何か。戦前の潜水艦が松山沖で沈没したものを約10年後に引き上げたら、そのときに、船員はベッドで横になって遺書を持っていたというのです。海外の潜水艦で、同じように引き上げがあったときは、人々はハッチに向かい、重なるようになり、そして、首をひっかいたりした後があったそうです。
この最期をどのように受け取るか、そこに日本文化の精神構造がありそうです。
論とは、そういう自分の内面における構造を明らかにして、問題意識の元を解明していくこなのでしょう。
-:--就寝、-:--起床、0:00睡眠。徹夜。
朝食、ごはん、納豆。昼食、パン2枚。夕食、ごはん、みそ汁、野菜炒め。夜食、カスピ海ヨーグルト。 |