猛暑というべきような、35度以上の日が連続しました。以前、 京都へ行ったときに、40度を体験したので、その時に比べればまだ暑さは少しましですが、体感温度は、それほど厳密でなくて、昨日に比べて、先週に比べてという感覚しかありません。
4月頃では、20度でも十分に暑いで、汗をかいたりしますが、7月では涼しい日として感じます。気温とは相対的な感覚であるから、毎日が35度なら、30度は涼しい日としてとらえられますね。でも、3月頃の17度ぐらいの天気の日に、30度は異常な猛暑です。
冷たいという感覚もそうですね。30度の白湯を飲んでいれば、15度の水は冷たいのですが、冬に15度はあたたかい水と感じます。
人間の感覚は、センサーのように厳密ではなくて、環境に応じてのその感覚の基準を変えていきます。もしこれをかわらなければ、感覚は一定で環境に柔軟に対応することは難しいでしょう。
感覚が相対的なのは、環境に順応しようとする意識であり、それは生きる上で遺伝子が獲得した知識、知恵、英知なのでしょう。
もしかしたら、この相対的な感覚、環境に順応する感覚というのは、皮膚感覚なみならず、味覚や触覚も含むかもしれません。そして感情も。好む好まないも、好き嫌いも実は環境に順応した感覚かもしれません。好きな漫画やドラマがあったのに、もっと広い世界の漫画やドラマを知ったらたいした作品ではなかったと思う、そういうものかもしれません。環境が広がると、好みも広がる、あるいは、変わっていく。そういうものですね。
でも、時には、懐古的に懐かしむことがあります。音楽で特定のバンドの曲を聴く場合はそうですね。いわゆる定番という昔からの曲を親しみますが、新しい曲は、そのいままでの伝統を超えなければなりません。聴く側は昔の曲を基準にしてしまいますから、その感動を超えた曲を求めます。
ドラマやアニメもそうでしょう。原作があって、それを変えていく場合は、原作の感動を超えた新しい展開があるといいのですが、どこかで雰囲気が違ってしまうと、主人公の性格や生き様が違ってしまうと、別もののように感じてしまいます。もし、そのように変えるのなら、原作にこだわらず、別のオリジナル作品にすればいいのですが、アレンジという程度なら、それは、役者の個性に合わしたアレンジということになるべきでしょう。
夜更かしが病気のように進行しています。そのはずなのに、やるべきことが終わらず。時間の無駄遣いばかり続きます。
6:00就寝、7:10起床、1:10睡眠。
朝食、ごはん、納豆。昼食、そば。夕食、ハンバーグ。夜食、なし。
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