この夏の暑さにもかかわらず、長袖のセーターを着ている子どもたちを見かけます。暑道を歩くときは、腰に巻いて、そして駅では着て。その理由ははじめわかりませんでした。それは、相対的なサービスにあったのです。
今日も、この暑さの中、駅まで歩くだけで、汗がにじみます。そして、駅のホームで扇子を仰ぎながら電車を待ちました。そして、車内へ。汗が引くまで少し時間がかかりますが、それからはどんどん冷えていきます。次第には、冷えすぎて、皮膚の温度の低下を感じるぐらいでした。冷房の効きすぎが原因だったのです。
子どもたちは、電車の冷房の直風をさけるため、そして、学校の教室での冷房を避けるために、自衛手段としてセーターを着ているのでした。
夏ならば、もっと涼しげな服装、町中にはノースリーブを着る女性もいる中で、セーターを着る子どもたちは、季節感をなくしたのではなくて、相対的なサービス過剰にまみれてしまった、被害者だったのです。
それは、暑いなら冷やすという発想にありました。多少なりとも暑くても、汗まみれにならない程度ならなんとかなります。でも、満員電車に乗ってくる、あの暑さがあるにもかかわらず、セーターを着るということは、それだけでも、ノースリーブを着るという行動とは違った、個性の主張ではないでしょうか。
冷やすという一般的な文化の盲点をついた行動だと考えるべきだと思います。
本日購入の本。
岩波文庫の復刊をいくつか。民話集を中心に。
○森敏昭編著『おもしろ言語のラボラトリー』北大路書房
○中野晴行『マンガ産業論』
それと、借りた本を読みました。なかなか面白くて、考えるところしきり。それは、価値観を転換させるというもの。詳しくはいづれ。
新しい資料はどこかでつながります。そのつながりが楽しいのです。
4:30就寝、6:30起床、2:00睡眠。椅子の上。
朝食、パン1個。昼食、おにぎり2個。夕食、パン1個。夜食、なし。 |