blue 鴛鴦呼蝉庵日乗
2004.12.01  会議への道

 会議に議案を通す場合は、しっかした資料と証拠、そして、会議に臨む人たちへの事前の説明が必要です。いきなり会議で説明しようにも、短時間で協力を得るのは不可能に近いので、事前にどんな議案で、どういう効果で、どのような過程で進めるかなど、賛成を強要するのではなくて、相手に趣旨を理解して、その上で会議で公平に、そして多角的に議論して決めていくというのが一番いい方法です。
  「根回し」ということばがあって、これはあらかじめ敵を味方にしていく、うわば賄賂に近いニュアンスがありますが、情報の事前提供といういみでは、会議を円滑にするいい方法です。国際的な問題でも、 事前協議があります。事前協議するから、実際の会議は短時間で済むわけです。事前協議ですべて決まるから、それなら本番の会議が意味がないように見えますが、事前に協議することで、いろいろな問題点などが見えてきて、どこで妥協し、どこで進めるかがわかります。それゆえ、どこを焦点化して議論をしていくか明確になります。つまり、議論する内容を絞り込み、重要事項のみ議論して進めることができます。細かい問題は事前協議で済ませることができるからです。
  これと同じことは、どこでも会議の定番です。特に新しいことをしていくことは冒険ですから、いきなり出して通りというのは、ある意味ではカリスマ的なにおいがします。オーナーの一存で決まるとか。それもよい場合もあります。高いところからの見識で決めることで成功した例もたくさんあるからです。ただ、それはその高い見識の一人がいるから、その集団は成り立っているわけで、その一人がいくなると、崩れてしまいます。それゆえ、会議のメンバーで決めていく、それが一番いい方向になることが望ましいのです。

 放っておけば伸びるという発想があります。これは、自主的な力を育てるということができます。ただ、それは、放任に過ぎません。自主的や自立ということは、支援が必要です。放任からは生まれません。育児や教育や支援というのは、人間か介在してこそ、成長があるのです。その成長なくてし、先行きすることはありません。ここですね。自主自立していくことの大切さは、人が人と関わっていて、その中からどのようにうまく自分をのばしていく方向と方法を得るかです。それができるのがよい指導者なのでしょう。やらせるのではなくて、気づかせて伸ばせるのが理想の指導者です。

 睡魔、消えず、常時眠い状態にあります。困りますが、このままになるのでしょうか。頭痛も消えませんし。

 長野県庁などで敷地内禁煙となったそうで、いっそ、その方がいいですね。外食すると、禁煙席と喫煙席と別れますが、その場合は、個別の部屋ではなくて、座る位置の違いです。でも、それだと喫煙者の煙がただよって、結果的に禁煙席でもたばこの煙を吸うことになり、健康に害を与えますし、一番良くないのは、食事をおいしく食べられない不快になることです。個別の部屋かエアークリーナーでもないのなら、分煙にしなくて、禁煙にすべきだと思います。たばこを吸う人は、煙を出さないようして、他人にかからないようにするなどの工夫も必要です。公共の施設の全面禁煙は妥当です。あるいは、それなりのクリーンルームを設置するのならいいかと思います。
  子どもやお年寄り、病人などと頻繁に接する人が喫煙するというのを聞くと、この人、まだまだだなぁと思ったりします。

 Acrobatのバージョン7の案内が来ました。今年は冬に新商品の案内が来ます。ボーナスを出すためでしょうか。

 3:00就寝、7:00起床、4:00睡眠。
  朝食、パン1枚。昼食、おにぎり、総菜、みそ汁。夕食、そば。夜食、なし。

 
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