鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.01.01  年末年始の競争意識の洗脳

 あけましておめでとうございます。2005年です。

 日付の変わったときは、お雑煮の出汁を作ってました。今年は、真昆布と日高昆布と焼津の鰹節を使って、純米酒と醤油で仕上げました。なかなかの味で、満足しています。その後、年賀状を印刷し終えて出しに行って、細々としたことをしていたら、夜明けになりましたから、就寝。昼に起きたら良い天気で、昨日の雪も溶け始めてました。年賀状の返事はそこそこでしたが、高野保夫先生から賀状が来ていて、失礼したなと思い、出しました。去年は、高野先生もそうですが、新名主先生、上谷先生、多くの先生方にお世話になりまして、賀状も出さず失礼しています。安居總子先生に出すべきでしたので、遅れてでも出したいと思います。

 紅白歌合戦や隠し芸大会など、紅白、左右に分かれての楽しみ合戦が年末年始には多く見られます。紅白や左右という別れるところに競争意識があり、どちから勝ったかとというゲームなのですが、でも勝ち負けで勝負するというところに、どこか意識の植え付けがあるような気がします。対決すること、もちろんそれは遊びですが、そうい合戦、運動会でも見られるような綱引きや騎馬戦、棒倒し。運動会で純粋な運動はマスゲームやダンスだけなのでしょう。あとは、種目別としても、色対抗やクラス対抗で、つまり、仮想的を外に作ることで内部の団結をはかるという安易な考えかもしれませんし、逆に言えば、対決しないとやる気が出ないという人間の本能かもしれません。戦争するということが実はいとも簡単に身近にあって、その意識は、紅白や東西や、体育祭や運動会の種目自体にすでにあるということ、運動すると言うことは技能ですが、勝敗のない蹴鞠のような運動はもはやないので、芸術ではなくて、運動ということ自体がすでに技能として考えられている、力の優劣であるという意識に、どこか矛盾を感じつつも楽しければそれでいいという感覚もわからないではないのが、現実です。競争社会に生きるのですから、運動自体が、体育祭や運動会が競争原理の意識の定着を計る、洗脳的な場面であったしてもそれは仕方ないのかも知れません。でないと、社会に出てから戦えなくなるからでしょう。
  あるいみでは、社会の戦争のための兵士を養成しているのが教育だと言えます。

 最近キーストロークがめちゃくちゃで、脳障害じゃないかと心配です。老いかといえばその通りなのですが。身体については以上は確認できますが、脳については確認はできませんから。寝不足や、アームレストの位置も関係していると思います。椅子に座るときに前の方に座って前傾姿勢で手を浮かしてキーを打つとミスが少ないのですが、いすに深く座って打つとかなりの確率でキーミスが目立ちます。若い頃は話すスピードと同じで打てたのですが、最近は、話すスピードの3倍以上かかります。時間短縮にはなりませんね。もう、峠を越えたからでしょうか。

 ここも2005年ようになっています。また、昨年までの睡眠時間と食事については、記載しない方向で。といっても、そのうちに書くかも知れません。そこは決めているということではなくて、流動的で、なってしまう、その場の雰囲気で書いています。

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