2005.03.07 言葉を送る場 | |||
ふと思い出したのですが、「××はどうですか」「今はそれよりも」などというように柔らかく回避することはよくあります。単純に質問するときにはそれなりの効力を発するのですが、その場がお互いに見知れる同志だと、この「どうですか」という質問の意図が分からない人もいるようで、つまり、「あなたならできるでしょう」「いえ、私は能力がないので」ということの暴露大会となること、たまにあります。質問する側はそれも踏まえて質問しているのですが、答える人がその質問の意図を理解しない、いや、理解しないことは平和なのですが、そのまま答えてしまい、見事に墓穴を掘るということがあります。意地悪でするのではないですが、ただあまにも単純に答えてしまい、その意味するところを推測しないからこそ、単純であることのよさを通り越してしまいます。 職場にいるといろいろな人がいて、単純ミスはあまり気にないのですが、想像力の欠如、一般常識の欠如となると、何も言いたくなくなります。そのまま放置すると、そういう輩はどんどん助長していきますから、よくないのですが、そんなのと関わる時間がもったいないと思ってしまいます。そういう人は、そのまま幸せに、楽して生きるのですから、それはそれでいいのではないかと。その人生をまねしようとも思いません。 「これ、あなたにどうでしょう」「でも、これなら△さんの方が」「△さんにはもうすこしやってもらいたいことがあるから」。これも見事に相手が自分のことをどのように価値を抱いているかわかってしまいます。まぁ、それでその人の価値が見えたから、なんとなくやりにくくなったのも事実ですが。というよりも、正直だなぁと思いました。 言葉を送るとき、反応やいろいろな条件も踏まえていくのが、場、つまり言語生活です。言語の生活ではありません。これがなかなかわかりにくいでしょうね。 新聞で自筆についての記事が。文字と身体性はすでに言われていることなので、今更の感もありますが、でも、繰り返し唱えるのが大切だと思います。身体と文字の密着性、固有性はぜひ研究対象にすべきですね。これも、場の問題です。 一年間、苦労して大願成就した人から連絡。よくがんばりました。最低限のことだけをしっかり守っていったからこそできたのでしょう。つまり、実力。 HPのパソコン、EIZOが付いてあの価格は破格ではないでしょうか。買って損はないですよ。あれなら。 [今日の記録] |
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