鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.09.27  ダサイジャージ

 運動用のジャージは、足首が絞っている形のを使用しているのですが、この姿がダサイという指摘を受けて、新しいのを購入。ところが、ふと思い着いたのが、以前このジャージを買うときは、それしかありませんでした。当時はそれが流行だったのです。もんぺなのでしょう。でも、今はそれがダサイと言う。ということは、当時の人々はダサイのです。ダサイ商品を売っていて、そのダサイ商品を買っていたわけです。当時、あのジャージを買った人は全てダサイ人だったのです。
  さて、今の時代に戻ります。今のジャージは比較的、光沢のあるような、薄手のものが多く出ています。遥か昔のジャージは少なく、そして、足首が絞っているジャージはほとんど見ません。そこで思ったのが、今のジャージももう少ししたら、ダサイものになるかもしれません。ということは、人のセンスとは、自分で作るのではなくて、すでに企業によって作られたものだということです。
  ダサイというのは、その人の感性だったのですが、商品がそれしかない、流行として名を効かせていた時には、そのダサイという感性は、一般市民権を得ていて、そして、それを強制的に分配されていたのです。ということで、ダサイということは、人の個性や感性というよりも、作られた創造されたものであって、極めて権威的な匂いのするものです。
  それを思うと、新しいジャージ、というよりも、スポーツウェアを着ることは、どこか、囚人服のような気がしてしまいます。どこに個性があるのか、まだまだ見極めていく必要があります。

 いつの間にか図書館のコインロッカーで、100円を貸してくれなくなり、外で両替をすることに。現金を扱えないとの理由でした。ならば、100円でなく、別の方式のロッカーにすべきではないかと。そのあたりを検討すべきではないでしょうか。公共の図書館の場合は仕方ないのですが。

 運動会・体育祭でのスタート用のピストル、これで裁判があって、その結果、防音のヘッドホンがかなり売れていて、スポーツ用品店では品切れ状態。今更という感もあります。他山之石というのは、昔も今も変わらぬもの。

 ふと、不適格者について考えたのですが、その人たちのために、周りの人が今まで以上に時間を取られてしまうことがあって、全体の業務が低下すると、その不適格者については、いろいろな不満も出てくるでしょう。しかし、当の本人はそうは考えません。不適格という定義があいまいだからですし、尺度として測るのが難しいからです。それが極端になると、いじめやバッシング、ハラスメントという形に取られてしまいます。説明責任ということは、納得できることではないのですが、説明することの必要はあります。極めて難しい所です。本人が気付いているのなら、もっと改善するのですが、気付いていないので、改善が不可能です。このあたりは、難しいことを含んでいるようです。なるべく触れたくないのですが、どうしても避け通れない場合もあるので、対応をどうするか、その先はどうしていくか、まだまだ解決すべき問題は多数あります。
  特に、不適格者は仕事の能力がないと見なされてしまい、重要な責任の仕事はまかせられないので、大きなミスをすることはありません。その分、他の人に重要な責任の仕事がまかせられ、その人が、万が一にミスをすると、致命的になります。不適格者が生き残り、まじめな熱心な人が残らないということになると、生産性は落ちて行きます。さて、どうするか。それを含めて、共存する道を選べるか。他人ならば簡単に言えることも、その中に入ると、対応に苦慮することは多々あるはずです。
  分限処分には、それなりの年数が必要ですし、解雇闘争でも、職務についての不適格についての認定は難しいです。
  ただ、資本主義では、一部に利益が行くと、一部に不利益が行きます。その循環性をどうするかです。ただ待つか、その中に入って、中心になろうとするか。では、自分の生き甲斐や、目的は。結局、渦の中にはまってしまう人となっていくのでしょう。
  実に難しい事案です。

[今日の記録]
睡眠時間:4:00就寝、7:00起床、3:00時間。
最高気温:23度

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