鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.10.21  知ると言うこと

 ずっと気になる本があって、買ったまま後書きだけしか読まなかったものです。近藤信行先生の『炎の記憶』(新潮社)。このたぐいの本は、すでにいろいろな方が出されているわけですが、自分で歩いて調べた実地記録。それも追悼の意味を込めた記録で、戦時記録を残すという科学的なものよりもエッセイの要素が強いのですが、むしろその方が読み手には何か心に残る者があります。読み手というよりも私という存在かもしれません。近藤先生とはずいぶん前に永井荷風と谷崎潤一郎の関係とか、作家のこと、地域のこと手、いろいろなことを教えてくださいました。一度だけ、居酒屋で話したこともあります。
  そういう先生だからこそ、どんなことを書いたか、気になったからかもしれません。で、最後の章から読み始めてしまいました。その記述を読むたびに一次資料ではないのに、目の前に光景が浮かぶような、そして飛行機による爆撃こそが大量破壊兵器そのものだとうことも、そしてその空襲を計画した人、多くの民間人を殺戮することを計画実行した人が、被害を受けた国から勲一等旭日大綬章を受けたこと。複雑な思いはありますが、むしろ戦争を切り離した勲章ということでは、復習の連鎖を絶ったとも言えます。
  だれが悪いとかいいとか言う前に、戦争という構造が、常軌を逸して異常なる大量殺戮へと向かってしまうこと、そのことを考えるべきでしょう。戦争というもの、攻撃というものが、結局は多くの民間人の犠牲を引き起こすのです。きれいごとのようにしかまとめられないのは、今は戦禍にないからで、だからこそ、平和を維持することが難しく、常に挑戦する気持ちで平和を思わないと、戦争はなくならないということを実感します。
「××人なんか皆殺しにしてしまえ」という意識を生じさせてしまうために、どのような操作が行われたか、それをつぶさに調べ、今後の逸脱する社会に向けて、それは自戒の念を込めて語るべきだと思います。

 読んでしまい、しばらく仕事が手につかないのは、その記録を注視してこなかった自分への反省と、もう一つ、自分の中に封印、いや忘れていた記憶がよみがえったからです。
  子どもの頃、年に一度か二度ほど、同じ夢を見ました。長年、それは同じ夢で、当時、ビルの四階に住んでいましたが、窓から外を回すと、遠くから火の海がこちらに寄せてきます。四方からです。遠くから炎はだんだんと高くなって、そして自分はどうしたらいいのか、それを考えて、火を見ていました。それだけの光景です。同じ光景を何年も。もちろん戦時中には生きていませんから、復興記念館で見た絵画などの影響でしょう。でも、その光景には、人々がいませんでした。人々の悲惨な姿はなかったのです。もしあったとすれば、それは、きっとこの光景だったにちがいないのです。3月10日のみならず、その後にわたる100回以上の空襲、そして8月15日の小田原の空襲までの各地の被害。それらの意識はなかったにせよ、今となると重なる光景です。
  あの炎を再び見ることのないように平和を維持していくことの努力を重ねていくこと、それが生きていくことの使命なのかもしれません。
  いろいろ考えていくと、このままでいのかということ。何も知らないままでいいのかとうことも思いました。

 しばらく玉露だったのを雁ヶ音に。たまにはいいものです。

 本の代金、今までの借金を清算。8万7千円。あぶない、あぶない。

[今日の記録]
睡眠時間:4:30就寝、7:30起床、3:00時間。
最高気温:22度

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