鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.11.05  評論文を読む3段階

 評論について、読み方としてはいろいろあるのでしょうが、よく使う方法は以下の3段階のもの。
  1.理解(文章・作者の視点を理解する。)
  2.思考(作者の論点について整合性を検証する。)
  3.表現(同一テーマで自分の意見を表現する。)
の三段階。作者の意見について、その範囲内で考えるのならば、その意見の中にしか思考は存在しません。それゆえ、その意見を越えて思考すべきであり、そのためには、作者の意見について具体例をともに、実感として批評を加えていることが必要です。それによって、新しい展開が生まれていくわけです。
  現状維持では文化は衰退します。現状を変えるには、現状を越えるだけの思考が必要です。そのためには作者の意見を越える必要があります。
  まず、作者の意見を理解します。文章の段落や語彙や具体例の出し方。そして作者がどの立場にたって考えているか。その考え方を理解するのです。そして作者の意見について正しいかどうかを検証します。読者が調べて、他の具体例を探して、実際の問題点や事象と照らし合わせて、その正しいかどうか。作者とは違う意見の、違う立場の、違う環境のに人や事象などを照らして、作者の意見が言えるかどうか。ある条件下なのか、普遍なのか、一時的なのか。それらを検証します。その時に一番明確にしていくのが、スコープです。 作者の意見を離れて、自分でそのテーマについてどのような問題があるかを全て出します。そしてその中に作者の意見はどこに位置するかを考えることです。それによって、作者の位置がわかりやすくなります。その上で、作者が触れていない部分について意見を出すことができます。それらをした後に、自分ではどの部分について触れて、あるいは作者の意見について反論、批判、肯定、修正するかを決めます。最後に自分なりの意見を構築します。
  評論のこの段階については、すでに『早稲田教育評論』で発表したのですが、その時は5段階でした。今回は3段階にすることで、学習の手順を簡潔にできます。ただ、その運用や進行については学習者の知識や環境や問題意識と照らし合わせて実施することが必要です。一般普遍の方法ではなくて、あくまでも学習者に即した展開でないと効力を持ちません。それゆえ、展開するにあたって、一般的に考えず、展開して変形して行うことが必要です。

 コニカミノルタが写真部門から撤退。銀塩写真がどんどん遠くなっていきます。表現や細密度など考えると、デジカメよりも銀塩の方が表現性が高いと思うのですが、コストを考えるとデジタルですから、いたしかたありません。銀塩の時代があったらこそ、懐かしいのかもしれません。マイクロドールXもパナトミックXの減感など、思い出してももう使うことはありませんし、手元の銀塩用カメラも最後に使ったのは、5年ぐらい前です。なお、銀塩用カメラは、FEとAE-1です。

 木皿泉はいままでオリジナルで脚本を書いていたのに、今回は「すいか」のプロデューサに頼まれたのか、原作の脚本となって、どうも木皿泉の世界、苦心しているようです。ただ、テーマを同時展開で見せる手法は少し入っていて、変われるか、真実はということがこれからの鍵になりそうです。

 風邪のため、定時で帰ってきました。その後、夜まで寝てましたが、具合は変わらず。もう少しの辛抱です。

[今日の記録]
睡眠時間:5:00就寝、7:00起床、2:00時間。
最高気温:21度

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