久しぶりの学会でした。その中で読者論について。ただ、聞いていくうちに違和感が生じました。というのも、読者論ならば、子供がどのようにして本に出会って、本のどこに感動したりつまらなくなったり、あるいはどこかに引っかかって新たなる考えを生み出したか、あるいは感じたかなどの実態調査をして、どのように読むのかのモデルを構築しつつも、実際の読みについて理解し、そこから新たな読みの展開を期待しつつも、その大系の理由や方法論などを論じることであると思うのです。
ところが現在の文学での読者論とは読者の存在を考えることで、読者の心理分析を含めた読者の視点は十分には確立されていないようです。ならば、読者論として展開して、つまり用語の問題ですが、それでいいのかという疑問が生じます。読者論を究めると指導過程論になるわけで、それはそれで充実した内容なのですが、あくまでも技法の発問・解答方式になりやすいため、慎重に論ずべきことなので、論じろと言われると難しいのです。
それと、文学理論とは、成人のためですから、子供の学習を考えると、それを導入して良いかは本文を読むことでよく理解できると言います。子供の発達を考慮した理論構築がこれから必要なのでしょう。それは指導過程論ではなくて、学習論について。
学会で、まだまだらな中、うしろを見たら、倉澤栄吉先生が来場なさって、途中、ご意見もいただきました。「経験」というのがデューイの事ですが、当時アメリカ視察に行ったときはデューイが現場で導入されていなかったということです。
その他倉澤先生とはいろいろなことをお話いただきました。特に文学教材についての考え方は、実に明快でした。
鹿内さんが学位授与。
昨年に書いたメモについて問い合わせがあったので、省力して掲載。
2005年3月18日
8年間の幻想覚え書き
[1].ゼミは研究共同体である
・ゼミ生に年齢経験の上下はない。→研究者としての自覚
・ゼミは論文の校正の場ではない。→議論によって理論構築
・各自が独立して研究をする。→お互いの研究の刺激と関連
・共同研究を一つし、成果を残す。→共同研究方法の取得
[2].(略)
[3].教師と子どもを救える高度な実践理論の構築を目指す
・研究は個人の成果ではなく、公教育に還元する。
→教育研究の目的はこれからの研究をよりよくすること
・多く実践者との交流をする。
→苦悩する教師を理論で後押しするのが研究者の役割
・子どもの実態を正確に把握して実践理論を示す。
→子どもの学びを育成するのが研究の目的
・歴史に事実があり教育者の苦悩がある。
→歴史研究は事実を正面から向き合う研究(くさらない研究)
[今日の記録]
睡眠時間:4:00就寝、6:45起床、2:45時間。
天気:曇
最高気温:10度 |