鴛鴦呼蝉庵日乗

2006.05.02  冷蔵庫に入ったコンビニの袋は人生の縮図

 昨日とは季節が一つ違うのではないかという寒さでした。この時期になると、急に暑くなったり、寒くなったりします。そういうことで夏になるのかもしれませんが。季節の変わり目だという証拠です。

 昨日、職場の仕事で冷蔵庫の中の物を処分しました。2つある冷蔵庫ですが、年に数回、内容物整理をします。で、今回は少し工夫してみて、あらかじめ保存しておきたいものに印を付けるこという方法にしました。その結果、一つ一つ名前を調べて本人確認するという手間がはぶけて、名前があっても処分することにしました。一週間の告知の後、どれぐらい印があるか調べたら、わずかに4個。後は不要品だったようです。
  で、それらを処分しているときに、ふとある共通点に気がつきました。ペットボトルなどの飲料は、一口か二口飲んでから入れてあるのです。多分、朝、通勤の喉の渇きを癒して、それを冷蔵庫に入れます。そのうちに仕事に専念して飲み物の存在を忘れる、というパターンです。
  もう一つが、朝、甘い物か何かを口にしたい。それでコンビニで買い物をする。ヨーグルトが多いのですが、そのコンビニの袋を縛って、袋ごと冷蔵庫に入れます。これも仕事が忙しくなると、忘れてしまい、そのままになります。冷凍庫のアイスもそのようです。
  冷蔵庫のものは、保存が利かないものを入れます。ところが、入れてしまうと安心して入れたことを忘れてしまうのです。それゆえ、そういう「遺物」が多数残ります。多分それほど重要なものでなかったのでしょう。ちょっと口にしたい、後で捨てようとか思う内に、そのまま年を経てしまうのでしょう。
  幸い、前回は昨年の10月の始めに実施しているので、一年以上の物はないのですが、賞味期限を見ると、10月のものからありますから、半年以上、冷蔵庫の中で忘れ去られてしまったようです。特に、誰かのお土産にするのだったもの、お土産包みのもも入っていたので、その時に渡せず、翌日に渡そうとしてそのまま仕事に入ってしまって忘れてしまうのでしょう。

 しまうということは、半分以上忘れてしまうということなのかもしれません。

 ただ、冷蔵庫の賞味期限切れ処分で困ったのは、ヨーグルトの腐敗した匂いと、ところてんの酢醤油の匂いが鼻につくことです。それと、麦茶が長く冷蔵庫にはいると、どうなるか。想像を絶する世界です。そういう悪戦苦闘して、冷蔵の中はすっかりきいれいになります。こういうゴミの処分ですが、一応、職場では「環境整備」の名のもと、れっきとした職務で、これも環境対策なのです。

 以前、職場で使用している紙の再利用をすべきではないかと、今までは個人個人でやっていたことを、コピー機や印刷機のそばに回収箱を設置したことがあります。設置したときは、かなりの数の紙が入っていて、きちとん揃えられていました。しかし、しばらくすると、裏が使える紙ではなくて、紙片とか、ホッチキスがついたものなど、いろいろなものが入り、入れ方も雑になりました。ゴミ箱としての認識が出たのでしょう。私以外にもそれに気付いた人たちが、整理していました。整理する人たちは、ほとんどそこのコピー機や印刷機を使わない人たちでした。今の世の中の資源回収の縮図を見ているようで、当事者ではないと人たちが回収するということです。そのあたりから、回収するシテステムを変更しなければと思いつつ、そのまになっています。
  でも、問題は紙の回収ではなくて、コピーや印刷など、無駄な使用を避けて、最低限にすることです。紙の再利用よりも、コピー機の電気料やトナーなど、かなり資源を使っているからです。印刷やコピーを最低限にすることはいいことですが、かといって、サービスを低下させるわけにはいきません。サービスの向上はこの時代の宿命だからです。その共存を考えると、環境破壊を止めることというスローガンは、どこか経済優先になっていて、その枠組みにからめられてしまっている自分の愚かさに気付かされます。

 さて、昨日、握力を測定。右手が48kg。左手が38kg。右手の衰えは確かでした。高校時代が一番あって、55kgはありました。あの頃は、カメラを構えてもぶれることはなかったのですが、最近はぶれることも多々あります。1/125でもぶれないというのが目標ですから。もっとも、1/30でもぶれないことはありますが。1/1000でもぶれることはあります。これが意外と知られていないようで、ピンぼけとぶれとの違いを識別出来る人は少ないようです。ほとんどがぶれなのですが。

 ここ数年、なかなか自分の思うような仕事ができず、その中でどう工夫するか、迷いが生じています。かつて、自分で企画・運営できた時は、かなりの成果も上がりましたし、その後のフィードバックや受講生の反応もいろいろとあって、第一期生は物書きになったりと、成果はあったのですが、最近だと、そういう技能ではないことに費やすことになっていて、それはそれで時代の流れなので仕方ないことですが、かつてのテキストは、すでに埋もれていて、それを使うことはないのですが、それが惜しいといようりも、それに変わる何かを作らねばならぬと言うことだと思います。

 それに連動して、今日、数人と組織運営について話し合い。わずかの時間ですが、企業体が自分たちの後進を育成する組織と力を持たないと没落するということ。10年、あるいは50年先をどう見るか。そのためにどういう人材を育成するか。人材を育成できる人間をどうやって育成するか。そこにかかっています。目先に乗り切ることも大切ですが、文化というアプローチをしないと企業体は没落します。そして、企業体自体が、システム化すると、それはそれて安全なのですが、その分、より大きな発展は出来ません。レールがひかれると、安心してしまうからです。それを乗り越えるだからの力を持つ人を育てられるかです。

 教育も同じで、現時点での世相を反映した教育は、現時点を乗り越えることはできません。現状を乗り越える人材を育成するには、現在の善悪・可否などを見抜けて、今を乗り越える力を持たせる、それだけの認識力・発想力を育成する必要があります。何が何でも世の中を批判する人物を育てるのは悪ではないのです。現状をよりよくしていくだけの力を持つか持たないか。それは、教育の仕方一つにかかっています。

 教育は人が人を育てることですから、その人間的な営みの尊さは永遠であり、だから、大学での教育学部をなくしてはいけないのです。技術ではないのです。

 そういえば、少し前に経営者側と話したとき、経営者の一人が、ここの書き物について話していたような記憶が、今頃になって、でもそれは確かではないので、確かかどうかというよりも、書き手が意識するかしないかということで、見ている人を意識して書くと、いや、意識しないと失礼なこともありますが、ただ、意識することは、書くことの重要な要素で、それがテーマにもなるわけですから、あえて、ネットで書き物をする人には意識するようにアドバイスするという手もあります。意識しないという手もあって、それは何かというと、洒落ではなくて、手の運動でもなくて、結局のところ、鳩が出てるということ、蛇が鼻から出るということ、それと何ら変わりがないと言うことです。だから、古墳にカビが生えると問題になるのです。その辺りの墓石にカビが生えても大したことないのに。
  今年はここに書くのがどうしてペースが遅いかというと、日々に疲れて眠くなっているのが本当のこと。それと、あえて書かない時もありますが、昨年は毎日書くことが出来たので、同じ目標では意味がないというのが、大きな部分でしょう。

 ちょっと長いね。

[今日の記録]
睡眠時間:6:00就寝、6:50起床、0:50時間。
天気:雨
最高気温:13度

前へ 目次 次へ
かくかい Copyright 黒川孝広 © 1997-2006,Kurokawa Takahiro All rights reserved.
  かくかい