2006.06.01 忙殺された日々 |
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あまりの忙しさに、ここも書くことならず、勤務先の仕事と岩手と再び勤務先の仕事と。で、ようやく一段落したので、ここに。 岩手大会では、多くの方にお世話になりました。また、甲斐先生、松崎先生、浜本先生にお気遣いいただき、ありがたかったです。甲斐先生のご発表では、当時の状況、特にまだよくわかっていない点が解明されたと思います。松崎先生、藤原先生、今宮先生のご発表では教師のライフコースのより詳細な点についての研究手法をご提示いただき、教育調査のあり方について、今後はこのような形になるかと思いました。私の考えていたオブジェクト型の授業構造研究も、この手法によって明確にできそうです。 初日のバス停では、鹿内先生が先にいらっしゃって、その横に入部先生がいらっしゃって、で、お互いにお知り合いと思ったら初対面だったのでびっくりでした。その後、府川先生もご一緒のバスでした。府川先生は以前に集中講義で見えたとか。懇親会では、北海道教育大の清野先生と懇談。北海道の教育史について。山梨の渡辺先生とも懇談。松崎先生とは時間をいただいて、ご相談。帰りのバスでは世羅先生からいろいろとご教示いただきました。世羅先生、ありがとうございました。二日目のバスで、小林國男先生とご一緒。正門の横にマロニエの赤があるということで、ご一緒に。昼食は坂口先生と鹿内先生と浜本先生と。初日の昼食は、佐渡島先生と西本先生と、話題は家事ということで、何のテーマもなく話してしまいました。安居先生、遠藤先生とも少しく話ができましたが、いずれ詳しくお聞きしたいと思いました。小川先生ともご挨拶だけ。新刊について伺えず残念。難波先生のご発表も聞けず、残念。 倉澤先生のご講演で、メモしたものをここに。 時間があればもっと倉澤先生のお話を伺いたかったと。残念至極です。 藤原和博氏の提言のメモもをここに。 で、子供を沈黙させているという社会なのかどうか、これは検証する必要があります。それと、浜本先生と意見交換。文学でもディベートができること、むしろ、ふさわしい教材であることの証明が必要だと。近々に実施予定。 松崎先生とようやくご相談ができました。あとは、こちらで準備する次第です。 岩手は昼過ぎに失礼して、帰りました。というのも、勤務先の仕事が残っていて、そのまま朝まで。岩手の前に徹夜続きで、そのまた、岩手から帰って徹夜というのも、仕方ないことです。その翌日も仕事が残り、結局、新幹線の車内で寝たあとは、そのまま起きていて、2日も徹夜。松崎先生から体調についてご心配いただいてのに、なかなか無理ばかりしています。そして、組合の総会をようやく終えて、これから春闘に。まだまだ気を抜くことはできません。この一連の睡眠不足で、ここも書けず、今日になって、ぐったりしてしまい、半日寝込みました。明日から図書館通いが復活です。ただ、体調はなかなか復活せず、湿布剤で肩凝りを取る日々ですが、ここ数日は湿布剤が効きません。 もっと岩手大会のことは書きたかったのですが、かなり意識が低いので、簡単に。秋の大会は勤務先の都合で参加できないので、来年です。 夏の予定を検討していたら、日本国語の大会と勤務先の宿泊行事と重なることが判明。これで、5年連続に重なりました。今年は、倉澤先生、田近先生、浜本先生の学習指導要領についての検討があるので、是非と思いましたが、残念です。あまりにもこういうことが続くので、いい加減に気が滅入ります。 埼玉国語の会に参加できるか、微妙になってきました。 ベクターの作品の入れ替えが終了。で、それまでのメモ。 岩手で元気をいただいたのですが、やはり日常に埋もれてしまいました。明日から、再び。なんとか、なんとか。まずは、明石を整理して、そして、次は小倉。そうそう、小倉といえば、富島松五郎だったので、なぜ第二師範ということ回答が少しわかってきました。 よく調べたら、こんどの日曜日は引率で、その次の日曜日と、次の次の日曜日は営業なので、6月の日曜日は1日のみ休日。休みがないと、体調が持たないので、どうやって維持するか、心配至極。人手不足を痛感。やっぱり、組織は人ですね。 [今日の記録] |
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