鴛鴦呼蝉庵日乗

2006.06.15  選択の余地

 『文学界』7月号の記事を斜め読み。それを読みつつ、藤原正彦氏の分析と、細木数子氏の言説に似たものを感じました。一つが万事という言説です。
  たとえば、教育基本法には共学がうたわれていて、それが今回の改訂案には削除されることになっていました。共学ということが前提であるのは、教育の基本が共学であり、別学ではないということです。共学があり、それを前提にして別学、あるいは男子、女子の学校が存在します。しかし、ある言説では、女子のみや男子のみというのは不自然であるので、全て共学にすべきというがありました。それが果たしていいことかどうか検証されていません。というのも、男子のみの方が実力を発揮することもあります。女子のみの方が実力を発揮することもあります。それは、個によります。個によるからそれぞれ勝手にということではありません。教育機関としての準備段階では、その個の特性を最大限に伸ばすための環境があります。その環境を選ぶことが許されないこと自体が問題だと思うのです。女子のみ男子のみというのは不自然であるのではなくて、まだまだ日本の社会において、女子や男子という区別がなされていることへの偏見が取り払われていないことからも、まだまだ必要とする人もいるのです。その人達を排除することになりかねません。

 数日前のテレビ番組で、細木数子氏が出産に夫が立ち会うかということで、立ち会わない方がいいということでした。それは個人の意見です。その日の朝日新聞の朝刊には、半数の夫が立ち会いたいという気持ちを持っていました。立ち会いたいという夫、立ち会って欲しいという妻がいれば、立ち会いは成立します。しかし、一方もしくは両方が立ち会いたくないというのであれば、立ち会わなくてもよろしい。それを世間の意見で決めることはないのです。自分たちで決めればいいわけで、しかし、それをどちらか一つに決めていくような言説は果たしていいものかどうか。

 ともすれば、少数派を切り捨てるようなことにならないかと不安にもなります。

 藤原正彦氏のすべての言説を調べたわけではないですから、はっきりとは言えないものの、藤原氏の言説に指摘が適している部分と適していない部分があると思います。それを今後は検証して、どの部分て、どの視点でそのような言説になるかを確かめなくてはなりません。

 一つ、知りたいのが、安田敏朗氏は藤原正彦氏の言説をどのようにとらえているかです。とても気になります。

 桜美林大学の大学院生から、昔書いた調査報告について知りたいとのこと。そんな資料をよく知っていたということで、手紙を読んだら、前国士舘大学教授の天野隆雄先生のご指摘だとか。で、天野先生とは面識がないのにと思っていたのですが、ふと昨日、郵便局に行ったときに、19年ぐらい前に一度お会いしたのを思い出しました。名刺交換も何もしていないのですが、その時には所属も聞かず、天野先生ということだったので、その記憶なのかもしれないと思うと、記憶の力のすばらしさにびっくりしました。後で考えれば、他の要因もあると思ったのですが、その時はそれのみに考えてました。
  で、以前に書いた「名前の用字」については、15年ぶりに調査をしてみようかとも思います。

 昨日は一日、外部からのアンケート記入やら、FAXやらで終わってしまいました。自分のことよりも、そういうことの方が先になっているので、もう少しがまんしたら、改善しようかと。

 ここのところ、家に帰っても仕事に追われて、自分のことがなかなか出来ず、時間の使い方をもう一度検討することに。優先順位があるということを再認識。それと、それだけ力を入れても、あまり有効でないということも含めて。作業効率をもっとよくしないといけません。睡眠時間はこれ以上削れないので。もっと賢くなりたいというのは万人の思い。

 愛之助は声も顔も仁左衛門に似ています。身長以外は。孝太郎と比較すると、違いますが、疑惑は疑惑として、推測は際限ありません。

 寒いのか、暑いのかわからない梅雨です。

[今日の記録]
睡眠時間:6:00就寝、8:30起床、2:30時間。
天気:雨
最高気温:23度

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