2006.08.23 間に合う |
|||
間に合ったという感覚については、すでに書いたのですが、たとえば、中村歌右衛門。あるいは、東海林太郎。有名人というよりも、名人がそれぞれ他界し、新しい名人が登場します。その繰り返しなのですが、以前、桜井光昭先生がふと歌舞伎の話をしているときに、新しい世代はだんだん自分よりも年下になって、子どもの成長を見守るような感覚になる、というようなことをおっしゃっていました。桜井先生はブリッジの協会にも属していて、推理小説が好きでした。メグレ警部の本など、多数お持ちでした。歌舞伎では、中村歌右衛門が好きで、よく見にいっていたそうです。世間話をあまりしない先生ですが、なぜかそういう話をたくさんした覚えがあります。 昔話ということでは、大平先生とも田近先生と話すとき、本来の話でないことをたまに話していただきました。ただ、二人の先生と話しをするときは、過去のことよりも、これからの国語教育のあり方をよく話しました。浜本先生はご自身からこらからの教育についての展望を語っていただいているので、こちらかに尋ねることはないのですが、視野の広さに、学ぶところが多く、反省するところも多々あります。多分、昔のことを学ぶのは、これからのことのためですから、今よりもよりよくしていくことに使命があります。果たして、そのことを大局的に見ていくことが出来るのか、そして、教育専門家がいるのに、それを無視して教育行政をしていくことの意味はどうなのか、それをしっかり検証すべきでしょう。 25日より留守をしますが、明日の分から再び、執筆停止です。再開は9月上旬の予定です。 [今日の記録] |
|||
Copyright 黒川孝広 © 1997-2006,Kurokawa Takahiro All rights reserved. | |||||