2006.09.14 歐陽詢と徽宗 |
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歐陽詢(欧陽詢)の拓本について、その後の調査ですが、印に着目しました。すると、「宣」「和」の連珠印と「内府圖書之印」が認められて、宋の徽宗時代の印であることが判明。そろころに印を押した拓本を石に彫った法帖ということになります。しかし、当時の「内府圖書之印」の印の位置は決められていて、このように、「宣」「和」の下に「内府圖書之印」となる例は今のところ見ていません。ということで、宋時代に印を押した拓本をそれ以降に石に刻んだということがわかりました。 次に歐陽詢ですが、年譜を調べても、貞観元年に墓誌や石碑を書いたとの記録がありません。「銀青光禄大夫」の役職は会っています。この年に歐陽詢が書いていないという証拠は今のところありません。 次に文字ですが、歐陽詢が貞観元年にこのような文字を書いたのか不明ですが、当時は六朝の影響の大きい文字だと思います。それで、よく見るとこの文字は「九成宮禮泉銘」の字とそっくりです。もしかしたら、だれかが集字したかもしれません。となると、歐陽詢が書いたのではなく、だれかの文章を「九成宮禮泉銘」から切り貼りして創り出したということも考えられます。「集字聖教序」と同じ方法です。
最後に「郎官石記」の文字ですが、「大観帖」に似るところが大です。たぶん、「淳化閣帖」か「三希堂法帖」の2つのうちいずれかではないかと。これからこの2つを調べることにしました。 「本物」ということばには、RealとTrueがあるように思えます。 |
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