鴛鴦呼蝉庵日乗

2007.03.21  再び組織について

 最近、街中を歩いていると、大きな料理店が軒並み閉店に追い込まれているのを見かけます。聞くところによると、そういう場所では企業が大きな宴会を開くことがなくなったとか。ところがそうなると困るが、中小企業で、多くの社員を集めた宴会、たとえば送別会などを開くときに場所がないことです。それで、送別会も人数を限定したりするなど、苦肉の策が施されます。
  新年会などの宴会は別としても、送別会では、定年とか転職などで新しい門出をする人たちが挨拶をします。特に、定年の場合は、それまでの人生の多くのその企業で迎えたわけですから、それなりの言葉があります。それは文化でもあり、人生観でもあります。それは直接役立つことはなくても、何かしら参考になることは間違いありません。あまり関わりのない新人や他の部署の人もその話を聞いて損はないのだと思います。もちろん大企業になると部署ごとにやるわけですから、全員が集まることはないにしても、別の部署のその人がどのような仕事をしてきたり、何を考えていたかなどは、大いに参考になるはずです。60人規模なら、全員でやる方がいいと思います。人数の関係で部署ではなく、年齢で分けてしまうことは、それこそ格差社会を創り出した思想そのものです。いいことはありません。

 組織論の最後です。といっても予定ですし、組織論というほどの論ではなく意見です。組織図を作るときに大切なのは、どの人材を伸ばしていくかということです。人材を伸ばすために、顧客への対応をよくして、品質のよい製品を作るために、顧客に対してのサービスを向上するために、組織を変えていくのです。そして、その組織を引っ張るリーダーと、人員とがうまく連絡し、関連できるように組織を作りますから、リーダーによって組織は変わり、そして人員の特性によって組織は変わっていきます。また、目的とするサービスや商品によっても変わっていきます。永遠不滅の組織などあるわけはありません。
  だれがトップになってもいいような組織を作るということを考えることはよく聞きます。しかし、それは、その時に組織作りをしている人が考えた理想であり、現実と乖離します。その組織の乖離こそが実は問題になるのです。だれのために組織があるのか。それは人員がより能力を向上していくため。サービスや商品の質の向上などを目指すためです。少数のための利益であってはなりません。流動的に若手育成がある組織はこれから発展していきます。

 傀儡ということばがあります。「自らの意志をもたないで、人の思うままにあやつられる人。」という意味があります。組織などでトップが交代しても代表権のない会長や、退職者の意向が反映される場合があります。それは、グループや小さな集まりでも、傀儡になることがあります。民主主義はこの傀儡を拒否したところから始まります。面白いことに、傀儡を排したように見える民主主義を訴える組織が、実は傀儡となるアドバイザーではない実行権を持つ人も出たりします。そういうエセ民主主義者の論法には、どこかに独善と、独りよがりが見られます。そんな中にいて、そういう人を押さえ込みために会えてその中に入ることもあります。実はそれは、遥か昔から「忠」として褒められてきたことです。本当の「忠」とは主君に対してよりも、民衆に対してではないかと思います。それがわかっているかどうかが、考えるべき人の役目ではないかと思います。

 月曜日から風邪の具合は悪く、今日は一日休んでいましたが、その分予定が大いに遅れていきます。

 普段使っているSUICAを見たら、マークがなかったので、電子マネーではないことが判明。交換に行く予定。

 今週はかなり予定が詰まってしまい、明日からは風邪薬に頼りながら、一つ一つ進む予定です。

 岩波文庫から『国語学原論』が出ました。日本語の時代にこの本が出ることはうれしいことですが、できれば時枝誠記生誕100年に合わせて欲しかった。続を期待して、そして『現代の国語学』まで出して欲しいものです。橋本進吉、時枝誠記と、岩波文庫に入って、よかっと思うことしきりです。

[今日の記録]
睡眠時間:5:00就寝、10:00起床、5:00時間。
天気:晴
最高気温:11度

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