今年の春ごろに書いた文章です。一部、つながらないところを修正してあります。
「悔しい」という気持ちがあります。試合に負けたり、自分よりも他人の方が成績や内容がよかったりなど、他人との比較で「悔しい」と思うこともあれば、試験でちょっとし他ミスで得点が低かったり、見ようと思ったテレビを見逃したり、自分ができると思ったことができないときにも「悔しい」と思うことがあります。一方で、格段に強い相手と試合で負けると「悔しい」という気持ちよりも、「しょうがない」という気持ちになることがあります。試験の結果も、あまり予習していない場合は、「しょうがない」という気持ちになります。
すると、この「悔しい」という気持ちは、「自分の想定する程度になると思っていたのに、ならなかった」場合に生じる感情と、言うことができます。想定する程度とは自分が考えていた結果、あるいは目標です。試合の場合は、いいプレーができて、勝利することなどです。成績の場合は、思った通り解けて、それに伴う点数が取れる場合になるでしょう。想定した結果にならないから、「悔しい」と思うのです。逆に、想定していない結果になると、「まぐれ」「幸運」「奇跡」ということになります。この想定した結果とは、目標値とも言えます。その目標値になるべきだという「期待」が想定した結果です。「期待」通りにならないから、「悔しい」気持ちになります。「がっかり」や「どうして」という気持ちも、そこには「期待」を持っているから生じるのです。怒るという気持ちもその「期待」を含んでいます。成績や生活の面で、家族から怒られるとき、その家族はみなさんに何かを「期待」をしています。「期待」通りにならないから、その反動として、怒るという気持ちが生じます。
「悔しさをバネにしてがんばってほしい」とは、スポーツでよく聞かれる言葉です。それは、「悔しさ」に向上心があることを感じて、そのその人に「期待」をしています。その一方、「期待」を持ちながらも「自分には能力がないんだ」と思い、努力をしないで、目標値にならないことがあります。それを「逃避」と言います。
この「逃避」してしまった時に、どのような「期待」から「逃避」しているのかを見つめ、自律することができるか、そして自分の向上心に気がついて、向かわせることができるかが、鍵です。
[今日の記録]
4:30就寝、6:45起床。
天気:晴
最高気温:27度
最低気温:19度 |