鴛鴦呼蝉庵日乗

2012.01.09  全体と個

 台所を片付けをしながらテレビをつけていたら、討論番組で教育では子どもをほめないほうがいいという主張がありました。子どもをほめて伸ばそうと意見もあり、その一方で甘やかすという意見からの厳しくしていくことがいいのだといことです。親と子どもの関係はどの時代でも子どもは親への依存度があるので、子どもへの愛情不足ことはないという意見もあり、一方で幼稚園や小学校ではまだほめる方がいいという意見もありました。
  1.ほめることで正当な評価を受けてモチベーションを上げる。
  2.厳しくしていくことで克服しようとするモチベーションを上げる。
  3.発達段階に応じてほめる時期とほめない時期とに分ける。
大きく分けるとこのような意見になりそうです。
  これらの意見はそれぞれ教育論ということの基本として考えたいという意図あっても、その議論には当然、全体主義的な思想が入っています。教育の現場にいる人ならば、ほめるほめないというのは、子どもの素質によって対応するもので、そして子どもの行動や達成内容によって分けることは、わかっていることだと思います。いつもほめるということはあり得ないでしょう。つまり、個を考えた議論がそこにはないのです。
  4.個の資質と発達段階、行動の目的と内容と段階に応じてほめる場合とほめない場合がある。
という意見がなかったのです。
  プロのスポーツ選手や、職人に弟子入りした人ならば、ほめずに常に注意していくこと、叱っていくことでも伸びます。それは、すでに自分からその突き進むモチベーションを持っているからです。ところが、一般的に学校の勉強は、一生していく人はほとんどなく、受験や就職の一時的な対応かほとんどです。ですから、モチベーションには期限があります。それゆえ、対応は個と段階・場面によるのです。
  一つの意見が出ると、その意見が全ての意見であると思い、すべての人に適用できるという間違った考え方は、昔からあるのですが、それが、マスコミによって助長されていることを見抜く力が必要なのは言うまでもありません。
  そして、勉強が楽しくなる、楽しく勉強する、という言葉が、実は短期記憶の典型例であることを見抜く必要があります。

 かなりしばらく書くことをしていませんでしたが、それはいろいろと影響というよりも、情報の使われ方に疑問があったので、人間関係の面倒ということもありつつ、避けていましたが、表現するということ自体が、生存を示すのであれば、表現していくことも重要であるので、内容については、職場のことを除いて、少し教育や情報、政治や社会、趣味などについて表現していくことにしました。もっとも、昨年は忙しくて手を付ける余裕などなかったのですが、きっかけがあって、余裕がない時にこそ、余裕を持つふりをすることも大切だと実感したからでもあります。ここ2年間の低迷期もようやく抜けて、実はやっと見えてきたというのが現状です。

 まずは、月に一度のペースを目標に。次回はモチベーションクライシスについて、もう少し検討したいと思いますが、これも、「書く書くサギ」になりそうです。

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