鴛鴦呼蝉庵日乗
2001.9.7 古いエッセイ−「ごみ」「卒業」
   この「鴛鴦呼蝉庵日乗」の日付がその日でなく、前日になっていたので、ちょっと時間をずらして、文字通りその日の出来事を記すにこと、あるいはその日の日付の後に記すことにしました。一日休むといいものです。もう少ししたら、週に1回程度にします。いままで突っ走ったのが、まちがいだったかもしれません。私にはよくあることですので、これは気を付けなければいけませんね。(笑)
 それゆえ、等身大の自分、かけがえのない今の自分を、今の自分のことばで書く、その方針を貫くには、過去のことは清算しなければなりませんが、それでも、いくつかの過去のことが残ります。今回、その過去のものを載せて、そして、これからは過去のことはリライトしたものとして、今のことばに置き換えて表現しようと思います。そうは思っても、方針はすぐ変わるのが私ですから、どうなることやらわかりません。(笑)
 以下に二つ記します。最初はいつのかわかりませんが、対応することについて述べたかったものと思われます。ただ、わかりにくい表現なのは、昔も今もかわりません。(笑)

 朝、通勤の途中にどう見ても固定資産税が高額と思われる閑静な高級住宅地の一隅にビニールの買い物袋に入れられた「生ゴミ」が山となっている。そこに烏が啄みに来ては辺りに散らかしまわっている。その事実に、どう対応するのだろうか。混凝土の壁を作るのか、薬を播くか、袋を丈夫にするか、発泡音を鳴らすか。いずれもNOであろう。基本は「生ゴミ」で考えて行動したい。

 次のは1996/2/24にある通信に載せたものです。卒業生に贈ることばです。

 学校を出てからが本当の人生である。
名を残すことよりも、名作をのこすことよりも、一番大切なのは「よい人物でいる」ことである。どんなに出世しようと、も、どんなに偉くなろうとも、平凡な人生であろうとも、まわりから「いい人」と言われるような、自分で「いい人だ」と思えるような人になってほしい。学校は進学実績を残すのが目的ではない。よい人材を育てることが目的である。諸君の将来が私たちの結果なのである。そして、諸君が次の世代に伝えていくことが、諸君にとっての使命なのである。この卒業・受験はその入口にすぎない。

 私が昔作った川柳につぎのがあります。
 えらそうなことをひとつふたつかな 一品斎
 私の好きな川柳(句)で四人展ではよく出品したものです。今でもその心境は変わりません。この心境が私の原点なのかもしれませんね。学生の頃に作成して、なおまだその心境にあるとは、なかなか人間進歩しないものです。進歩については、またいずれか。

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