鴛鴦呼蝉庵日乗
  2002.01.04 厄年
 厄除けをしてきましたが、多くの方が厄除けや他のお払いのため、40分おきに護摩祈願のお払いに並んでいまして、一回あたりが100人ほど、かなりの人数がお払いをしたようです。厄除けをする年齢は、人間として体が弱ったり、気力がなくなったりする時期と重なると言います。それゆえ、健康に十分注意する時期と言えるのでしょう。それで、よく見ると、人生には3回厄年があり、それには前厄と後厄があります。そうなると、都合9回厄除けをすることになります。厄除けをして厄がつかないなら、厄はどこに行くのでしょうか。それ以上に厄除けは神道や仏教以外にはないのでしょうか。もし、人間だれにしも健康の問題として存在するのなら、キリスト教にもイスラム教にもあってしかるべきです。あらゆる宗教にも通じるならそれは、人間の問題なのでしょう。それでないなら、いやもしかしたら、宗教上の作り上げられたものかもしれません。バレンタインデーのように。でも、それでも私たちは純粋にその話を信じて、それは自分に重なるいやなことを回避するには、他の力を借りるしかありません。そのために、厄除けをするのでしょう。そういう仏事、神事などをあまり信用しないのに、なぜか厄除けをし、墓参りをする。正月はいつも父の墓参ですが、その時も、線香を上げることをします。そういうしきたりは文化の一つであって、それをないがしろにしようとは思いません。作られたものであっても、その作られたものを文化の中で位置づけることができるか。それは日常の生き方に関わってくるものです。信じれば救われるという言葉があります。いや、信じていないと成就しないというのが本当なのでしょう。真剣にならないからです。信じること、信じていくこと、信じ抜くこと。自分を信じること。それは宗教に近いのですが、もっと人間の根幹として存在する理由かもしれません。

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