鴛鴦呼蝉庵日乗
  2002.01.13 批判とモデル
 ここのところ、体調が不安定で、胸の痛みで夜になると呼吸が苦しくなるというもの。胃の痛み、腸の不具合、頭痛、いらいら、不定愁訴、いろいろな症状が一挙に出ています。ストレスと睡眠不足が原因だと思うのですが、今年は忙しい年になのでいたかしかたないのです。それでも、最近は睡眠時間を4時間確保できているので、昨年の平均睡眠時間の3時間に比べればよいと思います。
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 久しぶりに野川沿いに散歩しました。今日はいろいろあったのですが、最初がベンチに座っている人が説明しているのです。「このあたりは色々な人が住んでいてね。西郷隆盛と辺見マリが住んでいるだよ。」 どうみても、言い間違いなのですが、言った人はそのセリフを絶対の自信を持っていて、それが不思議に違和感なく聞こえてきました。それがおもしろく、そして、不思議なものでした。野川公園は、すでに葉を散らして絨毯になっているのですが、その分、遠くまで見通せて、それこそ、公園の広さを感じさせました。冬の楽しみです。
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 その公園で、子どもが親に注意をしていました。ふと、親のミスをみつけたのでしょう。それを指摘したのです。子どもはたいがい親の欠点を指摘します。しかし、よく見ていると、欠点を指摘しているのですが、その反面で自分の欠点についてはそのまま置き去りにしているようです。すると、欠点を指摘するということは、自分と照らし合わせて欠点を指摘するのではなく、自分の中にあるモデルを作り上げそれと対照させて欠点を指摘しているのです。そのモデルには自分ならこうするという意識はありますが、その意識は自分の実態そのものではありません。理想として架空の空間に作り上げられたモデルを想定してるのです。自分とは違ったモデル。もしかしたら、私たちはいつの間にか、基準をもって批判するときに、この架空のモデルを基にして比較しているのではないでしょうか。

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