2003.01.07 通常
 ここで書いていることを見続けると、私は毎日病気であるがごとくに、読みとれますが、ここに書くのは毎日の生活のごく一部の断片なので、それが毎日のすべてとなるわけではありません。つまり、通常の中の一部がここにあって、全ての考えがここにあるわけではないのです。だから、こういう記述を元にしてその人物の全てを語り得るというのは無理なことで、それは読み手の創造力によって作り上げられた像があってそれによって意識は支配されます。その意識を支配するのは私のイメージでなくて、読み手のイメージが、支配されます。もちろん、この日乗は特定のだれかを読者として想定していませんから、基本的には私、あるいはだれかわからない多数が読むかもしれないとの仮定で記しているので、どのような人物がどのようにして想定しているかわかりません。
 もっとも、読んでいるらしき人は数人いるのですが、でも、そういう誰かを特定することは目的でも何でもないのです。むしろ、自分が表現していくことに意味があって、読者が多い、少ない、あるいはいなくてもいいのです。表現し続けることに意味があります。誰のためでない、自分のために表現しつづけるのです。表現し続けることで自分が見えてくるからです。

 達成感というものの他に、他人がよろこんでくれるというのがあります。存在価値です。あるいは他人ががんばっていると喜びます。ノーベル賞の田中さんやスポーツがそうでしょう。気にしている人ががんばっている、あるいは思いもかけない、自分の知らない人が努力して成果を挙げると喜びになります。今回のノーベル賞は特にその意味では、貴重な意識確認だったと思います。
 あるいは笑顔もあるでしょう。赤ちゃんや他の人の笑顔は、作り笑顔でなくて、素のものなら、誰でもうれしくなります。自分も笑顔でいる時は心穏やかな時でもあります。

 だれでも伸びる素質はある、それを強く願って努力するかにかかっているのでしょう。強く願うこと、努力すること、それが一番大切なのかもしれません。

 締め切りに追われる毎日となっています。日々、焦りと悪戦苦闘、いや、自分の才能と悪戦苦闘していますが、2つの締め切りを乗り切りたいと思います。今回は全国大学の論文は書けそうにありませんから、自分のすべきノルマだけこなしたいと思います。

 何か、自分だけしかないもの、考えというものでしょうか、それを求めてやみません。

 今日は、いや、昨日かな、今年始めての徹夜でした。やっと二日目の夜10時に原稿完成。すぐ発送して、帰りにCD借りてきました。今日はこれで休めますから、明日鑑賞します。明日は顔合わせ。4日から働いていると、今頃、年賀を言われてもなんか気分が乗りません。しかたないことですね。

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