鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.06.30  酸化するお茶

 お茶を入れてからしばらくすると色が変わります。たぶん酸化していくのでしょう。時間とともに酸化するのであれば、飲む側は酸化との闘いです。最初の一口と次の二口目との間には時間があります。その分、酸化します。それゆえ一口と二口は味が変わるはずです。それは気にならない程度だといえるのですが、しかし、気になる程度なのかもしれません。特に30分など、席を外してからのお茶は味が変わります。それゆえ、一定ではない味を感じることになります。
 スーパーで以前見聞きしたのですが、「このトマト、味が違うわよ」といってわずかな差の味について抗議していた人がいました。その人はすべてのトマトは同じ味だとおもっていて、おいしくないトマトについて文句を言っていました。しかし、作るところが違えば、苗も一つ一つ違います。ですから、味も違うのですが、同じである方が実はおかしいのに、それに気づかないのです。もし同じ味があるとすれば工業製品ですし、また、人間も同じく勉強できて当然となりますから、勉強の出来、不出来は品質管理の問題となるのでしょうか。それは個性なのに、個性を認めないということになるのでしょう。ある点では、危ない個性潰しをしてしまう考えになります。要注意な思想がすでに私たちの心の中にあると言ってよいでしょう。

 4:30就寝、7:00起床、2:30睡眠。なぜか眠くならず仕事づくめでした。土曜日の朝に出す書類もほぼ完成しました。これまでにない傾向で、なかなかの出来。というか、かなり挑戦ですね。特に3つ目は難易度が高いと思います。乞うご期待。

 林原めぐみさん、人気がありますね。いろいろと情報は豊富でした。甲斐田さんのCDも発見して注文。人気のようです。日本文化としてのアニメが若者に与える影響、この場合は効果的なよい側面で見ていくのですが、その関係で、いろいろと見ていくことになり、調べたくなったというのが事実で、そして、仕事の合間に見るのは辛いので、聞くのは楽ということで、声優の音楽CDに手を出しました。
 アニメそのものとしては、動き、声があるからこそ見るのであって、キャラはすでに原作にあるので、そのキャラを好きになることから始まるということです。で、同じような体験をしてみることにして、まずは「ヒカルの碁」から「奪還屋」と同時進行で見ていますが、昨日は「ガンダムSEED」にようやく挑戦しました。「SEED」は動きがあり、またストーリーに緊張感があって引き込まれますね。成長の物語としては「ヒカ碁」がいい作品だと思います。また、シリアスな勝負もあり、そして、人情があるという意味では、「奪還屋」は魅力です。では、若い人はどのような視点で見ているのか、そこがアンケートの主題。まだまだこれからもいろいろなアニメを見ていきたいと思います。見ないのはもったいないですからね。
 この日本文化講座は、月曜と火曜日にそれぞれ5分間で行われていますが、短時間ゆえに密度を濃くしています。前半は明日で最後。これまでの中間報告をしたいと思いましたが、それは来週にまとめて、ワークグループに報告します。特にこの一ヶ月の集中度は高かったですね。最初はさぐる程度でしたが、5月に入り方向性が見えてきて、6月に一挙に集中して意見交換。たった5分、あるときは延長して10分ですが、その短い時間にいろいろ深められたというのが成果でした。
 ただ、「オタク」や「ヤオイ」の語の定義についてまだ不十分ですので、もう少し練りたいと思います。というのも、15年前に「オタク」について考えたときは、専門性が高くその分野の知識を追究して、関連する事項についてはしっかり入手する。そして、その専門については、深く語ることが出来る人という定義をしていました。現在のワークグループによれば、専門性は高いのですが、しかし、娯楽として享受するのではなくて、表現していくことがあって「オタク」として認知されるというのです。これは私の考えていた以上の進歩でした。
 なぜなら、以前の私が考えていた「オタク」はあくまでも享受、情報収集の観点のみで定義していました。表現者は別の創作者として位置づけられて、「オタク」には入らなかったのです。それが現在は絵や文章、サイトを持つなどの表現者であることが条件になっていたのです。「オタク」が進化したのです。単に専門知識ではなくて、表現していく過程を含めた活動をする人を「オタク」とするならば、表現者を育てることを目的としている私は「オタク」養成に近いことになります。すると、以前思っていた「オタク」というエネルギーは発散するいう方向そのものだったのです。
 ただ、「健全なオタク」と「犯罪オタク」がいて、いや、きっとその間にもいくつかあるはずですね。「変態オタク」なども。そういうジャンル分けをどのようにしていくか、しかし、これはワークグループでは討議するには低レベルかもしれません。よりアニメの本質に迫ること、つまり、見る側がアニメに求めていくこと、感動や、キャラに求めていくものは何かを自己内に発見していく過程が見られれば、アニメを見ることは、小説や絵や映画を見るのと同じように、芸術鑑賞としての要素、自己発見の要素しての価値を持つことになり、自己発見の要素を持つことは、成長の過程に位置づけられるものですから、その結果、娯楽としても存在し、あるいは人生としても存在する重要な要因であると言えることになります。
 難しい表現ですが、アニメを文化として捉えるとき、文化研究としてアニメを活かしていくことはできないかということです。
 もちろん、研究的側面だけではありませんで、今まで無意識に封印していたアニメが、予想以上に進化していたことは驚きでした。だからこそ、今から見てみたいという意識が働いたのです。
 きっかけを考えると、「ポピーザぱふぉーまー」の影響もありますが、それ以前に、「千と千尋の神隠し」をデジタルで見たことから心動かされたようですね。宮崎監督はデジタルが嫌いで、フィルムで上映を望んでいたのですが、技術進歩はすごいもので、デジタルで映画館上映が可能だったです。そう、テキサスインスツルメントのDLPでした。DLPは鏡に反射して、デジタル映像を投影できる装置で、その美しさはスピルバーグも絶賛したといいます。そこで、DLP上映館を探して「千と千尋」を見たのですが、フィルムのちらつきやゆらめきか全くなく、色は鮮明で、鮮やかそのものでした。もちろんフィルムで見ても感動した映画でしょうが、映像美というのが私の望みでしたから、美しさには心惹かれました。そこでアニメに入ろうとしたのですが、どの作品から入っていいものかわからずにいました。今年になって意を決して見ようとした所、ちょうど、アニメ関係の人を世話する担当となり、そこで思い切って見ることに。で、見始めるということをあるところで表明したら、早速「これがいいですよ」と言ってきてくれたのが、今のワークグループのメンバーでした。最初は3人で後に2人参加して、現在5人。なかなかの精鋭で、偏ることなく、冷静に分析できる点がよろしい。好きなアニメやキャラはあっても、他を否定することなく、楽しんでいる。だからこそ、信用できる分析が期待されます。よって、ワークグループと共に検討を開始。現在に至ります。
 ワークグループと言っても端から見れば、井戸端会議ですが。そう今度から井戸端会議という名称もいいですね。あくまでも別称ですが。
 さて、昨日の続きの「SEED」を見ながら仕事をします。今は16インチの液晶ですが、17インチが欲しいと思うこのごろ。

 そう、それと見てみたいアニメが、新海誠さんの『ほしのこえ』 。自分で作ったというのがすごいですね。DVD付きの本があるので、いずれ買ってみる予定。

 昼食にみそ汁を飲もうとインスタントのを買ったのですが、昼食時にいつも忘れてしまいます。明日は挑戦しようかと。

 本日で日乗は今年になって175回目。前半終了。明日から後半。よくまあ続いたものですね。それによりも、よく書くことがあったと。自分でも驚異。日記を書くことはすごいエネルギーだと思いましたが、日常になってしまえば、そう辛いことではなかったですね。


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