2004.02.14  存在したいこと   
 

 自分の存在を怪しく思うこと、そういうことが子どもの頃にありました。意識だけが本物で、体は借り物という考え。鏡を見て、自分でない、この声も借り物で、本当は自分でないのだという考え。自分ははるか遠くにいて、このかりものの体を動かしている。そう考えると、親とか兄弟とかの存在は、実は、作られた物であって、本当は借り物であるという気になります。映画で「True man show」がありましたが、あのような作り物の世界ですね。
  そうなると、自分はどのように存在しているのか、それを知るには、意識、信じるしかありません。物的証拠というのは、結局のところ、嘘かもしれませんから。むしろ、信じるというよりも、自分がそこにいていいこと、存在していいことを認めてくれる人がいると、安心しますし、そして、その相手が居るから、自分が存在していいことになります。相手は人間と限りません。犬や猫など、あるいは映画とか音楽とか本、洋服とか。
  存在価値を認めてくれて、自分の存在を知ることになるのでしょう。その旅なのでしょうね。

 お互い言えないことがあって、それで悩む。言いたいことをすぐに言えればいいのですが、言えない。だから、相手に頼む。本を返してとか。でも、そこに相手を信じている意識があるのですが、それは理解されてない、せいいっぱいの、告白なのですね。
  好きな人に好きと言えないこと、恋愛では一番辛いことでしょう。好きな人と話ができるのが恋愛では、幸せですね。その時間、空間なのです。心というよりも心を共有する空間なのでしょう。

 バレンタインデーでした。ということは、昨日は13日の金曜日だったのですが、すっかり忘れてました。日付を越えてから、知りました。もっとも昨日の帰宅は日付を越えてましたから。作る人も大変ですが、その作った人の気持ちはしっかり伝わっています。そういうものですが、それを信じるにはことばとか、行動が必要なのですね。顕在化した物です。空気ではなかなか確認できません。でも、そういう送ることが、自分の存在価値であることに気づけば、あとは、その気持ちを持つことで、自分がいていいということになるのだ、それでいいのだということ、知っていく上での自分の位置を確認していくことは大切です。

 季節商品のものが終わりつつあります。栗や胡桃ものが好きなので、栗の季節はもう終わりで、胡桃は年中ありますが、それでも中心にはなりません。
  胡桃は隠し味ですね。中心として食べるよりも、中心として食べたものの中に、ふと入っていて味を示す。そういうものです。胡桃に合うのは、サラダもそうですが、チョコケーキもそうですね。いろいろな用途に合います。
  子どもの頃は、殻の胡桃を買ってきて、付属品の胡桃開けで開けて食べました。ネットは、丸めてリンゴにしてましたね。でも、当時の胡桃は渋皮が苦くて、一つ一つはがした記憶があります。
  いまの胡桃は皮があっても、渋を抜いてありますから、そのま食べでも渋くないですね。それゆえお菓子などに使うのは便利です。

 久しぶりに本を借りて読破。4冊ほどでしたが、なかなか人生は奥深いと感じました。組織の中の人間が組織に翻弄されるのですが、自分の弱さを堪えて、生きていく、その物語。なかなかです。

 夜にテレビで「Love letter」をやってました。最初に銀座の映画館で見たのは、テレビで予告編があってから半年でしたね。番組は「岩井美学」。いい番組でした。岩井作品はほとんど見てます。この春は「花とアリス」を上映しますね。松たか子のビデオクリップを見たかったのですが、まだおめにかかってません。「Love letter」もつっこめ場所はたくさんあるのですが、でも、そのつっこみは虚構としておさえておいて、雰囲気を楽しむといいでしょうね。ロマンティストだからこそ、こういう映画を好きになるのかもしれません。でも、ロマンティストかどうかは、本人はまだよくわかっていません。周りが言うので、そういうものだろうと、勝手に思っているに過ぎません。

 Delphi8の案内が来ました。購入はしばらく先になりそうです。その前に.NETを勉強しないと。このあたりは、そのうち。

 花粉症、今年も発症しました。昨日から。まだ軽症ですから、鼻水と涙目です。これからきつくなりますね。部屋の乾燥が一番よくないのかもしれません。ビタミンEを摂取しようと考えています。

 4:40就寝、7:10起床、2:30睡眠。
  朝食、ごはん、納豆、たまご。昼食、おにぎり1個、いよかん。夕食、カレー。夜食、なし。

     
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