blue 鴛鴦呼蝉庵日乗
2004.05.23  ドラマ

 テレビドラマの話をします。先だって、木皿泉さんの話をしたので、その延長で。最近のドラマは見る気がないのですが、それでも、一応、録画しておいたものがありました。で、先日、その一つである、「ホームドラマ」を見ました。その通り、家族ゲームのような、家族ドラマを演じるという内容で、それはそれでいいのですが、どうも筋がよくないのです。
  ドラマや映画を見るときに、予定調和的な、例えば水戸黄門のようなパターン、サザヱさんもそうですし、ドラえもんもそうですね。そういうものは、定番なので、それでいいのですが、テレビドラマの連作でない場合は、ある期待を持ってみます。それは、今まで自分が体験したことのないドラマですね。その異質感が実は、感動のもとです。もちろん、何度も見たり聞いたりして感動することもありますが、最初に見るものとしては、感動したいとのは今までにない、何か日本の本質や怒りに触れたからこそ感動するわけで、その期待があります。
  で、「ホームドラマ」の場合は、岡田さん、この方は「アンティーク」も描いていて、雑誌にも連載していました。著書も読んで、それなりにこの人の世界はかわっていたつもりでした。「彼女たちの時代」以来、見ていませんでしたから、今回見ようとしたのです。でも、いけませんでした。見えてしまうのです、台詞が。
  ストーリー、小説、ドラマ、ニュース、会話。台詞が見えてしまうと、それは見えてしまうものとして、予定調和だと、予定調和なりの楽しみもありますが、でも、私自身、予定調和だと、予定調和の動きや会話や、思考をしまいます。それゆえ、自分のとは違う世界を提示されると、それは新鮮なのですね。その意味では、「ホームドラマ」は最初の10分で、全体の構成がなんとなく推測できてしまいました。
  それに対して「光とともに」は、予定調和なのですが、でも、以外な台詞があって、なかなか楽しいのです。「アンティーク」や「マンハッタン」にも同じような違和感があって、それで楽しめたのです。
  新撰組も一時期つまらなかったですか、最近は、佐藤浩市の演技で見てしまいますね。あの言い回しはいいですし、佐藤浩市が挑戦して、破れる態度がなかなかいいものです。
  「すいか」のよさは、いろいろな展開が同時に行われて、それが全て伏線なのですね。それで、その伏線が、最後に一つになって、でも、それは教条的ではなくて、自然に余韻として、人の心に、台詞でなくて、心に入るからですね。そういう映像と言葉の融合というのを私は求めています。だからでしょうね。決め台詞を言うとき、オーバーアクトの場合は、どうも、白々しいのものを感じてしまいます。
  私が求めているのは、その台詞が生きるような展開と、周りの雰囲気なのですね。言葉で全て言うのは、どうかと思ってます。言葉に余韻があって、その言葉の中に、本音が本心が現れる、いや、想像できるような、雰囲気、空気をというものを大切にしたいですし、それを求めています。
  空気感というのが一番合っているのですが。そういう空気感を表現した文章、それが私にとってのいい文章なのですね。聞き手はあくまでも聞き手だけでなくて、聴きながら、実は想像していること。
  よく妄想は否定されますが、一般の想像とは、妄想ではなくて、ある言葉からの想像だと思うのですね。だからその想像すること、それは、言葉からで、その想像があるからこそ、理解も表現も響くのだと思うのです。

 空気感のある表現、最近はまったくなくて、去年、ふと目にした名もない人の表現があって、それが、印象に残っています。残念ながら、その文章はすでに手元になく、今はもう読むことはないですが、確かに心に響いています。今も。言葉のいくつかだけ、記憶に残して、そして、その空気は心に残して。

 5:00就寝、11:00起床、6:00睡眠。
  朝食、なし。昼食、チャーハン。夕食、野菜スープ、サラダ。夜食、なし。

 
前へ 目次 次へ
かくかい Copyright 黒川孝広 © 2004,Kurokawa Takahiro All rights reserved. かくかい