鴛鴦呼蝉庵日乗
2001.9.4 古いエッセイ−「居場所」
   さて、今日も昔に書いたものを下記に掲載します。1996年4月19日にある通信に載せたもので、幼少のころの私が記録されていますが、まだ文体が若いのが特徴です。
 担任から神田古本屋街の地図を借りて、詰め襟、制帽の黒川少年が神保町にいた。中学3年のことである。九段下から神保町、水道橋、竹橋と月に1度土曜日の午後はそうしていた。別に買いたい本があるわけでなく、ふと見ては100円位のゾッキ本を買っていた。江戸時代以前の本も売っていたが、とても買える代物ではなかった。
 衣替えの頃、ある古本屋に入った。「こんな店あったかな」と思いつつ、入ってみると国文学専門の店であった。文学は嫌いだったが、漢字や辞書に興味があったので、「ふ〜ん」と思って一応入り、辞書を探した。教室の半分もない細長い店の棚には隙間がある。まだ、開店なもない店なのだろう。入って行くと、奥に幅1mぐらいの本棚があり、上段に『言海』という紙表紙の背文字を発見した。近代最初の国語辞書『言海』は知っていたが、白い背表紙の分冊は始めてだった。「なんだ、これ?」と思って手に取り値段をみたら随分と高い。しばらくして本を戻したら、後ろから声がした。「その本の奥付を見てごらん」。まだ30半ばの歳かっこうで眼鏡をした格幅のいい主人が指さしていた。「それは一番最初の本なんだ。その後に中段の紺色の表紙になったんだ。」
 それから、その主人とのつきあいが始まった。月に一度、本の話や、研究者のこと、古本の売買のこと、社会のことや人生のこと、高校生活のことなど、テーマは定まることなく、多岐にわたって話をした。というよりも話を聞いていた方が多かった。話し込むうちに、6時半閉店が8時や9時にもなった。それほど主人の話は面白く、ためになった。
 そんな中で、印象的なことは、古本屋の主人はぼうっと一日いるわけではないことだった。どんな人がどの本をさわったかで、どの程度の研究レベルかがわかるというものだった。時に、主人が入口に向かってぶっきらぼうに会釈をする。入ってきた眼鏡の人は本棚の本を取って見て、買わずに出ていく。「あの本を見るようじゃ大したことはないよ。」とこの主人にかかるとその人の中身がさらけ出されてしまい、こわいぐらいだった。だから、この古本屋で本を買うことはできなかった。「そんな本買って」と言われるのが怖かったのである。
 その時は単に雑談をしていただけなのかもしれかったが、学校や親からは学ばなかった様々なことは、実に新鮮であった。クラブ中心で、勉強もろくにしなかった高校生活で、古本屋の主人の話は説得力があり、何よりも面白く、一対一の課外授業は終わることも考えなかった。
 エスカレーター校だったので、中3、高1、高2、高3と4年間も通った。しかし、高校の卒業式に通ったのを最後に、その店にも通わなった。特に主人を嫌ったわけでなく、自然と足が遠のいた。多分、古本屋の主人から「卒業」した意識がどこかにあったのだろう。そして、古本屋の主人との関係は「思い出」となり、その時の自分を「青春」と呼ぶことになった。
 それから十数年たった。学校の職員室の私の机の上に、今、その店では買えなかったが、他の店で買った『言海』が収まっている。それを眺めて思うのは、あの時、学校と家以外に自分の居場所があるということだった。そして、それを作るにはちょっとした人との出会いを大切にすることから始まるということだった。

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