鴛鴦呼蝉庵日乗
  2001.10.15 三角コーナーと文化
 季節がわりを機にいままでの使い物を少し買い換えることにしました。長年つかってきたもの、この冬で10年を迎えようとしているもの、まずは、風呂の手桶といす、そして台所の三角コーナーを買い換えたのです。
 風呂の桶といすは頻繁に買い換えるものではありません。もしかしたら、10年、あるいは20年近くも使いこなすことができるものです。昔は15年近くも使っていた記憶があります。長い間使うといことは、それだけ知れない愛着がわいてくるもので、別段強い執着ではないにしても、いつもの通りの手順で使うことになります。
 風呂とトイレの使い方は親から学ぶもの、特に母親から学ぶもので、他人から学ぶ機会はほとんどありません。それゆえ、風呂とトイレの使い方はその人の個性、あるいは家族、人生を象徴するといっても過言ではないでしょう。なぜなら、風呂に入ること、トイレに入ること、それ自体を他人に話すことは、まずありませんから。トイレが汚いものというイメージよりも、他人に知られたくない自分だけ、あるいは家族だけの話なので、他人が入ってはいけない話がトイレと風呂の話なのです。深夜ラジオでむかし、アンケートをしていて、トイレで前から拭くか、後ろから拭くかといものです。それは他人には知られたくないもので、しかし、他人のも知りたくないものです。そういう秘めた部分がトイレと風呂にあります。
 風呂桶はその人の使用にかかわります。風呂桶の使い方はどうだったか、いま、それを捨てるときに、自分の使い方、それは他人には、あるいは家族にもわからない使い方が、重なり合い、そしてそれぞれ全く意識しない思いが象徴していると思います。
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 もう一つが三角コーナーで、台所の三角コーナーは、その家庭の食事、つまり文化を示しています。それは、汚れ具合ではありません。三角コーナーに残飯や野菜の切れ端などを入れますが、それがあふれるか、あふれないかの問題です。あふれるということは、その残りが多くあるということで、それは無駄ではなく、残りやすい野菜を使っているということです。子どもの頃はバケツに入れていましたが、その野菜の量も、それほど多いものではありせんでした。一人暮らしをしているとほとんど多くはありません。しかし、それでも家族でいる時とそれほど差がないような量でした。量として比較すると、それは人数に比例するのではなく、人数になんらかの係数をかけた数で増えるものでしょう。
 電気代もそうです。人数がは増えればそれに比例するのではありません。基礎使用量があります。電気器具の通電や電灯などです。その消費を差し引いてかけていても、電気使用量は人数比例しません。むしろ、人数比例より多い場合があります。それは、子どもが多い時で、いろいろな洗濯物がありますから、消費が増えるわけです。
 三角コーナーはどうでしょう。人数が一人でも、五人でも三角コーナーに入れる残飯は同じです。三角コーナーのゴミを交換することはまずありません。それは一食あたりの残飯、野菜の切れ端には三角コーナー分だけを出すという目安があります。
 その三角コーナーを買い換えるにあたって、気づいたことは、10年前の三角コーナーは深いものでしたが、最近のものは、どこでも、3センチぐらい浅いのです。家族数が減ったからかもしれません。それよりも、すでに皮をむいていた野菜や、さばいてある魚など販売されているものが、すぐ調理できるようて手配されているからです。
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 風呂桶と三角コーナーは新品にするということではなく、この十年の私たちの生活のかわり様を、わたしに見せてくれました。ゴミとして処理される、三角コーナーは、そこにかぶせられる、1年365枚のネットと同じく、日々の文化を背負っていながら、今日も一時的にためておくものとして、使われ、そして、汚くなると疎ましく思われ、それでいて、水切りが悪いと悪口をたたかれ、使われ続けていく大切な道具であり、そして使う人の文化を示す鏡なのです。
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 この週末に学会があり、それに向けて準備を開始します。来週まで日乗は更新できないかもしれません。学会が終わったら、ソフト開発を再開しようと思っています。

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