2002.12.03 銀杏
 銀杏の葉が黄色に色づいています。与謝野晶子が「金色の」と詠んだ、まさしくその色です。並木道は黄色の絨毯で埋め尽くされています。すでにぎんなんも採り尽くされたのか、臭いもありません。公園の並木道で、かさかさ音を立てて次々と降ってくるのが欅の葉です。欅はここ数日でほとんど落ちてしまいました。落ち葉を掃く方にとっては、困りものかもしれませんが、この季節特有のかさかさという静かな音で、秋の深まりを感じます。

 落ち葉は風に舞い、どこでも飛んでゆきます。あるところで建築現場がありました。その建築現場ではちょうどコンクリート打ちの最中でした。ふとそこで思ったのが、この落ち葉がコンクリート打ちの中に入ると、その落ち葉はその建物を壊すまで、あるいは壊れるまでそこに埋まったままとなります。そのままの容貌とは思われませんから、腐蝕し、あるいは蒸散してしまうかもしれません。運良く葉脈が乗るかもしれません。いずれにせよ、形を変えて残ります。コンクリートに囲まれてその建物に残る銀杏の葉を想像すると、長い時間を感じます。

 あせることがあります。先のことまで焦ってしまい、今やるべきことをしないで、結局今の楽しさを味わうことができない。それで困ってしまう。そういう状態はよくあることです。ふっと息を抜くとそこから抜けます。だれでも自信はないものです。だから、なにかをやって自信をつけます。そのなにかがわかりません。だから困難なのでしょう。自分の中にあるイメージ。それをくずすことができるか。崩さなくても、再構築できるか。そこにかかっているようです。

 銀杏の葉はかさかさのイメージはありません。銀杏の葉には油を多く含むので、しっとりと落ちます。そしてその葉を踏むと、少々滑ります。それゆえ、落ち葉の季節でも、少し違うものです。銀杏の葉を踏みしめるよりも観賞によいかもしれません。

 本日聴いたCD。
グレゴリオ聖歌集、クリスマス早朝の聖務日課
 声明と聖歌と聞き比べたいので聴きました。とりわけ聖歌に興味があるというわけでもなかったようです。

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