鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.08.22  中と外 
 

 暑い日でした。湿気が多くて、それで汗が出ますね。あちこちでは、命を絶えた蝉が。もう夏も終わりです。昨日のアゲハチョウ、今日も出没しました。しかし、昨日止まった枝、今日は植木屋さんの手で切られようとしていて、それで、切られるとき、ひらひらと飛んでいきました。
 そのアゲハチョウが飛ぶとき、ちょうど背景が空になりました。そのとき、アゲハチョウを透かして空が見えたのです。漆黒の羽は、レースのようにあざやかなの黒を放っていました。

 昨日の荷物運搬の筋肉痛で、あちこちが痛くて、そして夕方、浜本先生のお宅に届いた野地先生の本、大槻先生から送られた本を研究室へ移動。移動の多い今週でした。

 半袖のワイシャツの場合は、MDはどうやって聞くのでしょうか。上着着用の時は、上着の内側の胸ポケットに入れますね。でも、半袖の場合は、いれる場所がなく、鞄に入れるのでしょうけど、そうだと、歩くときに不便ですね。で、どうするか、迷います。
 高校の頃の夏の制服はどこにでもあるように、半袖のワイシャツでしたが、一部香港シャツも認められていました。半袖のワイシャツの場合だと、裾をズボンの中に入れます。でも香港シャツの場合は、裾は一定の長さですから、外に出します。
 裾を外か中かというのは、いつから起きたのでしょうか。外に出すのが若い世代の特徴で、中に入れるのが年寄りだとしたら、海外の人でも、中に入れる人は多くいるので、年代分類はできないことになります。
 すると、あとは感性の問題となります。

 批評という言葉かあります。また批判という言葉も。コミュニケーションで批判することは、単に内容を批判するということではなくなります。というのも、発言する人は、自分の意見が正しいという気持ちで発言します。それは、その人の人生から得た結果だからです。それを否定し、そのよくない点を批判することは、その人の生き方全てを批判することにもなりかねません。それゆえ、批判や批評というのは、こちからの生き様そのものでありますから、それを批判・批評することは、発言者の生き様を批判することになるのです。

 つまり外にいるか中にいるかの問題なのですね。主観で生きているから。

 6:00就寝、7:30起床、1:30睡眠。明日はゼミ合宿で、伊豆の川奈にあるセミナーハウスで勉強会です。日曜日に帰ってきます。


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