鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.08.24  合宿 
 

 帰ってから、一休みしたら、腹痛。かなり痛くて、横になってました。まだパソコンに向かうのも辛いので、今、これ書いたら、また横になります。年に何回かありますね、こういう痛み。十二指腸か小腸あたりが痛いのですが、腹膜癒着が痛くなっているかもしれません。虫垂炎ではないので、それはわかるのですが、何が悪いのかがはっきりしないのが、怖いですね。だいたい、一晩寝ると治ります。寝付きが悪いですが。

 合宿は今年も盛りだくさんでした。研究の視点にはオリジナリティが求められます。そのオリジナリティが勝負ですね。素材や一つ一つの表現よりも、内容というのか、構成というのか、そういうところが大切ですね。いろいろな点で発見もありました。今回は伊豆の川奈のセミナーハウスです。小室山のそばにありますが、小室山の入り口からは結構あります。交通の便は不便ですが、なかなかきれいな所です。後で知ったのは、温泉でしたね。
 特に浜本先生が1957年頃の様子で、小学校は3部授業で、ほとんど体育で、学科は全くしなかったとのことです。それは、中学校も同じで、中学校では、ひたすら、田んぼに瓦を入れることを毎日していました。当時は学校への土地や校舎の文部省の予算もついたのですが、実施の時になって予算がつかなくなりました。それで、土地購入の契約をしても予算がなく、自殺した自治体の長もいたとか。で、グラウンドの土地はなんとか買えても、整備する予算がなかったのです。それで、瓦をいれてグラウンドを整備したといのうですね。今の今治西高校だそうです。高校には行ったら、ちゃんと学科をしたそうで、それまでほとんどやらなかったというのです。そういう時代に学力低下論が出るのですね。実態とかけ離れたところで、学力低下の問題が生じました。
 戦後の新教育についてはもっと多くの人の聞き書きが必要です。これから少しずつやっておこうと思いますね。浜本先生も小学校の時に、一枚の紙を折って、切って教科書を作りました。それを知っている人も少ないでしょうね。暫定教科書自体もほとんどないですから。
 浜本先生は直接新潟へ。そしてその後、鳥取へ。両輪の会の解散式です。長年の両輪の歴史もついに終わりですね。

 帰りに、岩崎さんと昼食。小田原の駅前のそば屋で、ダッタンそばを食しました。堅めに練り上げてありまして、あまりダッタンの味はわからなかったですね。ダッタンそば茶は以前のんだことがありますが、すこし塩辛いような気がしました。

 ウィルスですが、直接のアタックについては防いでいるのですが、メールの添付の方は、22日からものすごい数でしたね。一日で95通です。今日も30通を越えました。ほとんどが差出人を偽装してあります。なかなか迷惑な話で、ネットにつなぐのも回線が混雑して、時たま止まります。しばらくは被害が増えるから、ネット障害は出ますね。

 最近、ディスプレイに周波数の波、フリッカーが出てきました。時折ですが、どうも強い電磁波がどこかから出ているようですね。雑音もかなり入りますから。

 夏祭りがありました。ふと、交通整理をしているところを見たら、路地に御輿が巡行していましたね。懐かしい記憶です。

 3:00就寝、7:00起床、4:00睡眠。


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