鴛鴦呼蝉庵日乗 2003
  2003.11.03  文化 
 

 文化の日は恒例の叙勲ですが、新聞に目を通して、知り合いがいないか調べるのが通例です。今回は、いませんでしたが、見落としがあるかもしれません。西田博士の名がありました。文字学では、この人の左にでる人は、白川静さんでしょうね。世界的視野では、西田博士の研究は文化そのものだと思います。

  焼きもちを焼くというのは、期待通りに相手がしないから、自分に対しても同様にしてくれるという期待を裏切った場合に起こるものですね。何かをしてくれるということ、それは何かをしているという意識がないときに生まれます。もちろん、人は客観的に相手についてはいくらでも批評できますが、自分についてはなかなかできません。だから、批評というのは存在するのでしょうね。自分のことを考えるのなら、批評はできませんから。
 体調に関してご心配いただいていますが、あまりよくないのは事実で、午前中はだいたい、ふらふらしてます。健康そのものなのですが、さっと診断すれば、起立性障害と言うことになりましょうが、そういう単純ではないのでしょうね。でも、倒れていないから、健康なのですよ。まだ、倒れるには、苦悩が足りません。

 メッセージ性がある内容と、無い内容とがあって、実際にはそんなはあり得ないことで、全てが自分に対してのメッセージですから、書いていくときは自分に当てているのでしょうね。仮想してだれかを考えるとき、それは誰かを考えているようで、誰かという仮想を組み立てている自分に対してなのだと思います。
 あの人に伝えたいというのは、自分が想像しているあの人なのですから、それは、自分に対してであると言えます。

 止めていない目覚まし時計のように、繰り返される何か、心の中に残る残響。その残響を消すために、動いているのでしょう。きっと、その何かがわかりたくて、しかしわかないままなんでしょうね。

 今、必要なことは、何か。そこに行き着いています。繰り返していますが、その繰り返しは何か。ですね。こういう時は不安定ですから、ちょっと要注意です。しそうにもなりますし、そうでないようにも思えます。思いの外、思い切ったこともできてしまいます。そういう状況が一番、混乱しているのでしょうね。それゆえに、いろいろな科学で究明したいという気持ちになるのだと思います。

 この季節になると、3月までの区切りの終わりが見えてしまいます。それゆえ、終わりに向けてしっかりすべきですが、しかし、うまくいかないことが見えてしまうので、結局のところ、繰り返しに対して、非生産的な意味をもってしまいます。そのマンネリを打破できるか。実際にはできないので、そのまま生きていくことになり、その妥協が自分の個性であると認めていく、いわば、自己公認的な逃避ができるかですね。したくても、そうなるには、捨てていくものが多すぎます。

 とりとめもない、わかりにくい文書でした。もっとも、書いている本人は筋道が立っているのだから、なおいけません。

 7:30就寝、12:00起床、4:30睡眠。


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