2004.01.02  墓参   
 

 毎年恒例の墓参りです。父親がなくなったのが、たしか昭和63年。もう、16年近くですね。5月14日に死にましたが、五月十四日ですので、五十四として、5+4ですから、「9」。昭和63年ですから、6+3で「9」。死んだのが54歳でしたから、5+4で「9」。昭和9年生まれですから「9」、黒川ですから「9」?。まあ、そういう意味で、「9」に関わる数字が多かったと、死んだときに位牌を見て思いましたね。葬式の時は、あまりにも急がし過ぎましたが、今思えば懐かしいです。
  田舎に行くと、風習があります。田舎といっても、自分の田舎ではなくて、親の田舎ですから、私から見たら異文化そのものです。子どもの時は夏休みはそこでよく過ごしました。でも、その文化を吸収した覚えはないですね。ただ覚えているのは、祖父の土葬のこととか、会葬お礼は何にするかとかでしたね。いや、ほんと、死んだ直後はいろいろな連絡や手続きで苦労して、お通夜、葬式、その他の手配で一苦労で、通夜や葬式のときは会葬者への挨拶で、座る暇もなくて、忙しかったのを覚えています。数ヶ月でしたか、相続の書類を出して、やっとほっとしたのを覚えてますね。大変でした。田舎の当主が言ってましたが、「死んだ人間に合わせなくいいんだ。生きている人間に合わせないと、面倒だ」と。その通りで、いわれや儀式とかいうのは、昔からというようにするのではなくて、時代に合わせた方がいいというのが当主の考えでした。当時の私はその言葉が斬新でしたね。今の文化に合わせて、変えていくものだという意識を、70歳の老人が聞いたのですから、それは斬新です。そういう意味では、葬式というのは、死んでいく人のためというよりも、残された人が最後のお別れをするためですから、死んでいく人の遺志で決めていくというのはおかしいですね。残された人が忍ぶためですから、残された人に任せた方がいいと思います。死んだ後まで支配するというのは、どうかと。
  で、田舎というよりも、父親の実家で「さす」という言葉で。「お茶を入れる」で、2杯目からは「差す」と使うそうです。お酒をつぐときも「差す」と言ってました。他にもいろいろ記録したい言葉がありましたが、メモを忘れました。次回は録音しようかと。その家では、カ変に独特な用法があって、「来ない」は通常「こない」ですから、そこでは「来ない」は「きない」なんですね。未然形が「き」。だから、「こきくくるくれこよ」という活用は、「ききくくるくれき」となりますね。「こっちへ来い」という用法はなくて、「こっちへ来」で「こっちへき」となります。方言ですが、しかし、定着している用法なので文法として数えるべきですね。
  で、もう一つの母方の実家では新居なのですが、道の反対に旧居がまだ残っていて、その建物、宝永年間に作られた家を改修しつつ、今でもつかっています。さすがにすき間風が強いのですが、しっかりしたつくりで、柱も、尺の幅がある大きなものでした。

 墓参りの帰りにいつも通る高速道路で、夜景スポットというか、夜景ロードがあります。特殊な場所でなく、東北道の上りで、浦和を過ぎてそのまま首都高速に入ります。扇橋の手前からかなり高い高架になって、荒川沿いに出ます。その時、荒川の向こう側の夜景、団地やビルの夜景が目に入ります。そこから、しばらくは荒川沿いに奇麗な夜景を見ることが出来ますね。川に映る団地の灯火を見ると、そこに生活している人の息づかいのような、生きているという感覚、街は人によって生活しているということを実感します。
  で、一番の見所は、そこから6号向島線に四つ木橋の所から分岐して入るのですが、入ってすぐ、荒川を渡る所です。そこは、180度見渡せる夜景で、左右みごとに夜景の中に入っていくような感覚を受けますね。あそこはいつ走ってもいい道です。高速であれだけ夜景がとびこむのはレインボーブリッジがありますが、それができるまでは、あの分岐のところが一番奇麗ですね。
  その他にも夜景の名所はたくさんありますが、夜景の本というものありましたね。韓国のソウルで見た夜景は、川の黒とオレンジの光の対比が奇麗でしたね。まばゆい光よりも、闇と光の対比がきちんとしている方が奇麗だと思います。
  まあ、運転していると、疲れますから、奇麗な形式が目に入らないとつまらないですね。

 頭痛が再び。風邪はまだ治っていないようです。

 いままで、サイトのhtmlで、他人が見たときと印象が違うのが何が原因がわかりませんでしたが、ようやく判明。画面解像度を計算していませんでした。私の環境でいいバランスでも、たの環境だとそうもいきませんね。現在は、1024×768をターゲットにして、800×600を参考に作成していますが、それまでは自分の環境に合わせていたので、ロゴも大きすぎたようです。

 4:00就寝、11:00起床、7:00睡眠。
  2004年 1月 2日 (金曜日) 、旧暦2003年12月11日 (仏滅) 庚辰。
  朝食なし、昼食がお雑煮とお節。夕食は父方の実家で寿司、黒豆、りんご。夜食でお節料理と、ハーゲンダッツ。飲み物は最近は、アロエジュースを一日一本。

     
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