いつのころか、子どものころ、低学年だったか、お煎餅にバターをつけてみました。すると、なかなか美味なのです。元来、食パンにバターをつけて、溶けてパンの生地にしみこんだバターの味が好きであったので、煎餅にバターを塗ることは容易に考えられたのですが、実際にその通りにしたのは、大分後になってからのことのようです。
当時はバターは固くて、少し常温で戻さないと煎餅に乗りませんでした。今は、マーガリンがあって、バターもソフトタイプがあるから、食べるまでの時間は短くなっています。
煎餅といえば、袋に入っていた煎餅を細かく砕いて、それを袋から直接口に入れるのが好きでした。それで、袋の上から金槌でたたいて細かくしたものです。でも、当時の煎餅の袋は、今のようにぎざぎざがなく、袋の切り口がありませんでした。それで、袋を破るとき、粉が散ったりします。その頃、食べ物にはさみをいれる感覚がなかったので、煎餅の袋といえども、それをはさみで切るということは、あってはならないものだと感じていたのでした。はさみは紙や布を切るので、食べ物の包装しているビニールは切っていけないと、勝手に自分でルールを作っていたのです。ですから、ビニールをやぶる時は、かなり大変でした。そして、昔のことですから、ビニールもかなり厚手で、今のように簡単には切れませんでした。
当時、好きだったのが、鏡餅を揚げたのです。鏡開きをするときに、手で細かく砕きます。梅干しの大きさぐらいに小さく割っていくのですが、それを紙に広げて乾燥させました。それを揚げるのです。からっと揚がったら、塩をまぶしておきます。
これがとても美味で、正月が過ぎたら、この揚げ餅を食べるのが楽しみでした。子ども晩年の頃、この揚げ餅にバターを落としてしまいました。すると、これがまた美味なのです。ふとした、失敗から、美味は生まれました。
失敗といえば、コロッケです。たしか、小学5年ぐらいの頃でしたか、コロッケを作りたくなりました。子どもの頃から栗が好きだったので、栗のコロッケを作ろうとしたのです。栗を茹でて、皮をむき、細かく砕きます。それに小麦粉を溶いたものをまぶし、パン粉をつけて揚げます。パン粉自体がないので、食パンを焼いたのを細かくしました。
で、適温になって、フライパンに入れたら、じゅっと揚がるのいいのですが、少しすると、爆発してしまいます。それもそうで、つなぎがないからですね。それで、急いで、ジャガイモをすり下ろして混ぜました。それでも、爆発します。そこで、ジャガイモと卵を混ぜましたら、こんどはうまくいきました。念願の栗コロッケの完成です。それはそれは美味で、ごはんのおかずというよりも、おやつの味でした。
一度うまくいくと、なぜか飽きます。翌年にもう一度栗コロッケを作ってから、コツをつかんでしまったという達成感から、栗コロッケから足を洗ったのです。
飽きるといえば、シャーベットもそうでした。苺のシャーベットを作りたいと思い、何度か挑戦しました。最初は水っぽく、次は、氷そのものでした。なんも、練り直して、牛乳を少し混ぜたりして、卵白を入れたり、それでようやく完成しました。苺シャーベットというよりも、苺ミルクシャーベットのようでしたが、これもなかなか美味でした。2度目に成功したとき、やはり飽きました。というよりも、これはいつでも作れるから、次のに挑戦しようとしたのです。
そんなこんなで飽きることがあるのですが、野菜炒めとみそ汁、つまり毎日のご飯については、そういうことはなさそうです。毎日新しい工夫をしているからでしょう。同じ味にはしませんし、なりません。そういうものだということに気づくには、大分時間がかかりました。
自分で理解すること、そして、理解したつもりで、その構造を理解しなかったのは、まだ自分が見えなかったのですね。
黒飴はすきでなかったのですが、特に榮太郎のは。那智黒飴はなかなか美味です。これなら飽きません。
久しぶりにコーヒーを飲んだら、カフェインのせいか、くらくらしてきました。それに脱水症状的に。多分、昨日、寝ようとしながらも、窓を開けたまま椅子で寝てしまい、寒かったので、風邪を引いたようです。
それで、ふらふらまま、夕食を作ったのですが野菜いために、胡椒を入れすぎました。かなり辛かったのですが、汗が出たので、多少気分は持ち直しました。
水分不足もありますが、何かがおかしいのです。寝れば治るか。
4:30就寝、7:00起床、2:30睡眠。椅子の上。
朝食、ごはん、玉子。昼食、おにぎり2個、みそ汁。夕食、ごはん、みそ汁、野菜いため、冷や奴。夜食、カスピ海ヨーグルト。 |