鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.01.06  包装の利便性

 ビニールというかプラスチックの包装というのは便利で、形が変えられるからですね。いろいろなものについて、湿気や乾燥など外気が気になる場合にも有効です。
  で、冷凍のお菓子を食べようとしたのですが、箱に入っていて、その上、完全包装なのです。いわゆるラップをかけて熱処理で密閉したもの。しかしこれが非常に開けにくい。爪ではむりで、指でもむりで、なにかとがったものでいつもこじ開けて、どこかに穴を開けてから広げます。
  昔、CDの最初のころは剥きやすいテープがついてなくて、端の方からパラフィンのような包装をこじあけていたのを思い出しました。包装とは、楽しませるためもありますし、保護の意味もありますが、解けにくい包装というのは問題だと思います。
  開けにくいといえば、新潮社の「波」の包装と、講談社の「本」でしたか、その包装です。岩波は切取線を付けましたから、最近楽です。ユーザーのことを考えたら、色を付けるなんてあとでいいから、開けやすさを考えて欲しいです。

 市毛勝雄先生の発表レジュメを読みました。市毛先生の範囲は極めて明確にしているのですが、その外について触れていないということだけで、批判されているようです。私自身は大平先生や田近先生の影響は確かに大きいですが、継承者ではありません。かといって市毛先生の心酔者でもありません。それぞれの人の意識を理解していくことには心掛けました。鶴田先生からも誤解されていましたが、継承者や心酔者ではなくて、学問を学んだのです。そこが難しいですね。枠の中にいるものと考えられますから。市毛先生のゼミにもよく参加しましたが、是々非々で話していたつもりです。いずれそれを明らかにしないといけませんね。田近文学教育理論のよい点と問題点、市毛言語技術教育のよい点と問題点。問題点というと悪のようですが、課題点といった方が正しいと思います。それぞれの価値を明らかにしていくことが研究ではないかと。まだまだできないですが、いずれ解明したいと思います。スコープとシークエンスということ、プロシージャーとファンクションとの関係で。以前、継承関係について考えていたのですが、それは理学と工学にあてはめて、説明できそうな気がしています。
  いずれにせよ、やるべきことが多数有りますから、来週から必死に時間を節約していこうと思います。残り時間はわずかですから。
  付け加えですが、市毛先生も田近先生も浜本先生もパソコンやネットについて興味があって、それぞれ教育にうまく活かせていけるのではないかと思っていた点で共通でした。私はどちからというと、否定的で、ある程度応用力のついた段階で導入するにはいいのですが、リテラシーの問題、思考の問題や情報に操られないようにするということからも、もう少し慎重に考えたいと思っています。とはいっても、情報教育についは興味有りますし、テッドネルソン以前のものを調べたこともあります。バネバーブッシュのころからですが。そこで見えたものがあるからこそ、慎重です。

 開けにくいといえば、パンをつつむあのテープです。特許らしいですが、左右からテープをくるむようにしているもの。実際には開けにくいこと極まりないです。発明として有能でも使う側にとって、開けにくいのは実用としてよくないことです。工学的な観点から。

 窓から冷気が入ってきて、パソコンを打つ手の甲もすっかり冷えてしまいます。手の冷えが一番身体に耐えます。人生の終わり方もそろそろ考えないといけませんね。着地点というか。残り時間も限られているわけですから、できること、することをはっきりしていかないと。

 ここの書き方も年始はいいのですが、だんだんネタ切れで細切れになります。最初のうちは調子が良いのは毎年のことで、秋が過ぎるとめっきりだめですね。あと3ヶ月で春ですから、そのころにエンジン始動というのも改めないといけません。なかなか自分を変えるのが一番大変です。他人を変えるのさえできないのですから。いや、自分を変えるのさえできないのですから。

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