鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.01.20  教育

 風呂に入ろうとして、つい見てしまった番組を最後まで見てしまうことがあります。昨日の朝、CXのNONFIX。「傷だらけの立て直し“家族修行”〜絆を求めて〜 」でした。非行カウンセラーの伊藤さんが更生するべき子どもを引き取って育てることを取材したもの。自分の娘2人と共に生活する中で、非行から戻る子もいれば、期待を裏切る子もいる、その実態をきちんととらえたもので、最後まで見入ってしまいました。伊藤さんの生き様やことばが重く伝わります。こういう良い番組は深夜でも良いから残して欲しいですね。

 年間の最高気温の平均、最低気温の平均を年ごとに見ると、最高気温の上昇はわずかなのに、最低気温の上昇は急激です。特に1970年以後。1880年頃は約8度だったのが、今では約13度。暖冬になりつつあるのですね。

 ふと思い出したのが、高校の時、体育の授業で運動してすぐに座るなという支持。痔になるからという理由で。その時、いくつか教わったのですが、保健でもどこでも、病気について学んだのはその時だけだった記憶があります。実際には保健で学んでいるのですが。その後、大学で酒飲みの人からもなぜ飲酒後に痔になりやすいかを学びました。この二つの出来事があって、痔の予防に努めたおかげで、ならずに済んだのですが、その後、医療書を見て、それ以外の原因もあって、さまざまな原因や症状があることを知りました。あとは確率の問題なのでしょう。でも、専門の本よりも人の口から学ぶことの方が多かったと記憶しています。自分で体験したからこそ、学んだのですね。

 文科省が総合的な学習の時間を減らす方向で動いてます。いつものことですが、教育研究の成果や、教員研究家の意見はほとんど行政は聞いてくれません。ここのところようやく現場の意見を吸い上げることになりましたが、それまでは政治家と文部省側の人間と、審議委員、経済界、などでした。教育研究者の意見は吸い上げられなかったのです。そろそろ、行政と研究とを近づけることが必要でしょう。学校ごとの平均点数の公開や、国家歌唱の音量指導など、それがどのようなことになっていくのか、考える時期ではないかと。子どもが学ぶことを保障し、そして促進していく。自分をよくし、社会をよくするための向上心を養い、そして、自分をよくして、社会をよくしていく創造力や行動力、コミュニケーション能力、それらをまとめる思考力を養う。そのことが大切なわけであって、人と人とが互いに助け合っていく精神を養うこと、共生の意識。それこそ根底にあると思います。集団社会なのですから。それを基盤に、何を学ばせるのか、テストの点数だけを上げるのか、大被害を受けた化学物質による殺人事件の加担者が高学歴者であったこと、賄賂や不正使用などの官僚のトップや政治家、企業の人々の多くが高学歴であったこと、それを考えると、どのような教育が正しいのか、他国との比較、自国の歴史、社会の現状、子どもの現状を踏まえ、教員養成、行政制度、地方行政制度、学校独自の制度など、考えることはやまほどあります。

 最初に言えることは、文科省は学習指導要領を作らないことを決めるべきです。最低限の科目だけを支持し、目標や内容や時間、単位、それらすべてを各都道府県の教育委員会にませるべきです。そして各都道府県の教員養成を持つ大学と、教育学を持つ大学が連携して学習指導要領を作成していくのです。
  その段階を経たら、次に地域ごとに学習指導要領を作成を作成することにして、最後は学校ごとのカリキュラムを作成するのです。そのために、校長はカリキュラムや学習指導要領を作成できるのと、経営能力を持つ「教育経営士」なるものを設立し、その資格を持つ者が校長として陣頭指揮を執る、そのようになるべきでしょう。ただ、それだと校長が過労死する可能性もありますから、それを支援するために大学の研究者や教育経験者が学校運営に関わるというのがいいと思います。地域に根ざした教育こそ、地域が総掛かりで取り組む教育こそが、地域社会を発展させます。
  管理主体の教育委員会を、カリキュラム作成、内容作成の教育委員会に変化させること、そこが大切です。

 今のままでは、管理だらけの教育になり、今の世の中を批判して、今の社会をよりよい方向へ変えていくだけの力をもった人材を育成できません。次なる世の中をよくするために教育はするのであって、抑えるために教育をするのではないのです。果たして、そこまで、20年先まで、50年先までを考えて、実際にはそんな先のことは先の人まかせればいいのですが、先を考えて教育しないと、何もなりません。人を育てるのが一番大切なことなのです。
  OECDの結果をきちんと分析もしないで、学力低下のみを表記して進むやり方は、どうなのでしょう。総合的な学習の時間について意見が出るのは、教員を管理して、束縛して、そして支援しなかった行政側に責任があるのです。明石小・中など総合的な学習をうまく発展してきた学校もあるのですから。

 戦後、学力低下論が出てきて、それまでのコア・カリキュラムがなくなりました。その理由の一つに教員支援があったのです。戦後の教育不足で、教育経験も少ない人に、自力で授業を構成させていくのは困難です。それに対しての支援が不足していたのです。がんじがらめの社会には、創造力が不足します。今の社会、今の教育制度のままだと、戦後のあの繰り返し、そして戦前のあの繰り返しになります。教育行政については、戦前の状況にだんだん似てきています。審議会や文科相の発言、そして世論の意見も。よく注意して、教育の本流を歴史からひもとく必要があると考えています。

 教育に関するご意見はどんどん文科省に寄せましょう。それで議論を起こして、そこから先へ進むことが出来ます。一人人の声こそが、次の世代への橋渡しになるのです。

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