地震の後は、なにか体が揺れているような気がします。それほど揺れに敏感だというわけではありません。揺れに敏感なら、電車やバスや車に乗れなくなります。例えば、職場の机の引き出しを出し入れするだけでかなり揺れます。茶碗のような器に水を入れて、机の様子を見ると、腕を机に載せているだけでも十分に揺れています。ほんの少し風でも揺れるのですから、揺れないことはないのでしょう。
むしろ、静止というのは難しいのかもしれません。何も動かないのなら、見ている、存在している人まで静止しなければなりません。死しても腐敗などバクテリアの活動があるから揺れます。細かな微細な細胞、あるいは原子レベルでの振動、つまり揺れている社会なのです。
この考えに近いのが直線はないということです。直線とは考えられたものであって、実際には存在しません。直線定規も直線かというと、原子レベルで直線とはいえなくなります。ほんの少しまがります。ディバイダーなどを用いて、平行な等間隔な線を引きます。そしてコンパスなどを使って、その線に垂直な線を平行に引きます。つまり、正方形が多数できるわけですね。格子状の。その格子状の正方形に対角線を引こうとします。その線は格子全体を覆うように永く引きます。そうすると、対角線は正方形の交点を通過することになります。ところが、実際はそうはいかず、どこかでずれたりします。
鉛筆で引くと、鉛筆の粒子がこすれて紙につきます。つまり、球の集合体となりますので、球の隙間が空きますから、線にはなりません。印象派のようになりますね。それゆえ直線とは難しいのです。レーザー光線も直線のように見えて周波数がありますから、とぎれますし、曲がります。それは重力の関係もあります。重力による影響で多少なりとも光は屈折しますから、直線を描くことはできません。
直線というものは、見えるのですが、それはまっすぐに見えるものであって、まっすぐとは限らないのです。
このように、見えるものと、そのものとは違うのですが、暗黙の了解で見えることを信じるのは視覚を重んじる文化ですから当然です。むしろその見えることを認めないと、話が出来なくなります。そうなると混乱してしまいます。暗黙の了解としてのコードを私たちは持っていて、そのコードが正確かどうかよりも、コードの形状を私たちは大切にしていくのです。
[今日の記録]
睡眠時間:5:00就寝、7:00起床、2:00時間。
最高気温:24度
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