鴛鴦呼蝉庵日乗
2005.08.09  霊

 昨日、寝る時にテレビを付けたら、テレビ朝日で、劣化ウラン弾の後遺症についてのドキュメンタリーがあって、身ながら放射能は見えないから怖いとつくづく思いました。電磁波とか磁場も見えず、人体への影響も心配です。放射能については、家庭で測定できる器械を持っている人は少ないから、どう防ぐのかわからず、その不安もあります。
  電磁波も問題はありそうで、なかなか解決しない問題だと思いますが、人のためというところを優先しないと、どう被害が広がるか、防げるかということになります。今の国にとってはいいかもしれませんが、今の子ども達が大人になったときに解決するのでは遅すぎるのです。それを考えないと、今だけよければという赤字国債の発行でしのいで、自分は年金など貰って、裕福に死んで、後の人は苦労しろというのでは、道理は合いません。

 夏なので霊についてです。

  朝から勤務で、ようやく帰宅して、夕食時にテレビを付けたら、霊能力者の番組が。霊能力については、あるともないともどちらの意見もあります。ある人にはあるので、ない人にはあいのです。それでいいと思います。霊能力者を否定するつもりもありませんし、かといって、科学で計測不能というのだから信じないというのも、どうかと。つまり、計測可能な科学技術かどうかは不明ですから。
  で、気になったのが、その番組で、両親の不和が気になって亡くなっても家に留まる子どもの霊があって、その霊は良心が仲良く幸せに暮らして欲しいから、留まるというのですが、となると、霊とは死後、生きている人を見ていることになります。その子どもが死んでから両親の不和が生じたのですから。で、両親が仲良くなれば成仏するというのです。そこで疑問ですが、人間というものは山あり谷ありで、いつも同じではありません。両親の仲良きこともいつか不和になるかもしれません。その時に、成仏した子どもの霊は再び家に戻るのでしょうか。
  もし戻るとすると、霊はいつでも出現可能な媒体ということになります。もっとも、信じる人が創り出すという定義ならそれは簡単ですが、外にあるとすれば、両親が死ぬまで霊は出現可能ということになりますので、いつでもどこでも出現することになります。
  この場合は、子どもが両親の不和を気にしているわけですが、もし、日本の将来を気にしている場合はどうなのでしょう。すると、明治維新の人たちの霊は出現するのでしょうか。江戸時代、鎌倉時代、平安時代。もしかして、原始時代の人が環境を心配して、霊が出現するとすると、最大値として今までの死んだ人の数だけ霊があることになります。そんなことはないでしょうが、0.0001%としても、人類誕生から今までの数で言えばかなりの多さになると思います。
  もう一つが地域性です。日本の場合は日本の人の霊でしょうが、外国にはその国の人がの霊があるとすると、この地球上にはあまたの霊が有ることになります。
  ふと、スペースシャトルの生還を見て、宇宙にはスペースデブリというごみが、正確には人工衛星の破片や打ち上げの道具ですが、それらの破片があまたあります。あのようにこの世の上に浮遊するとなると、霊の世界もラッシュがあるかもしれません。ただ、霊には実態がないとすれば、これは質量の問題ですから、簡単に解決できます。
  まちがって、イスラムの人の霊が出てきたりしないのでしょうか。
  外国の輸入建材の場合は、その国の人の霊がそのまま家を造った国のところに出現しないのでしょうか。
  アイスマンが一時期話題になりました。あのアイスマンはどうみても旅の途中で息絶えたと思いますが、その人の霊は出てこないのでしょうか。地球博に出品されたと聞きますが、そのときに霊能力者はたずねないのでしょうか。大韓航空機事件の遺留品から霊を引き出せないのでしょうか。9.11もしかりです。そして義経もしかりです。

 霊感スポットに行くと、霊を呼ぶと言います。その霊は、原始人の頃からのでしょうか。ならば整合性はあります。霊に整合性もあったものではないですが。それは感じるものだと言ってもいいかもしれませんので。質量がないのではなくて、今の科学では測れない質量かもしれません。それはいづれ解決するかもしれません。

 予感とか予兆とかありますが、そういうものは経験や第六感、勘働きで決まるので、科学的根拠は多少なりとも、経験則であると言えますが、ほとんどは、経験であるとも言い切れません。

 20年ぐらい前ですか、歌舞伎で四谷怪談を見た後、玉三郎と孝夫だったのですが、念仏で怨念を防ごうとする場面があって、帰宅してから、聖書では、コーランではと思いました。カナダにホームステイしたとき、馬蹄を飾る家があるというので、理由を聞いたら、悪魔よけだとか。それらを考えると、日本の幽霊をにんにくと馬蹄と聖水、聖書や十字架でおだかやにさせることはできるのでしょうか。西洋の霊について、仏典や数珠や日本の御札でおさえることはできるのでしょうか。そこで、幽霊と宗教との関係について考えたのです。たぶんですが、幽霊は宗教の上に成り立っているのですから、その地域の言語や文化・習慣を背負っているわけです。でないとすると、エイリアンのように言語も宗教も通用しないものの方が怖いわけで、確かに幽霊よりも人間の方がいじめはするし、殺すし、傷つけるし、いろいろと面倒です。
  あらゆる宗教を超越した幽霊はいるのか、そして仏教とキリスト教との連携はあるのか。だとすると、映画「エクソシスト」も、般若心経やお経と数珠で抑えることができるのかもしれません。それこそがグローバル化の最初ではないでしょうか。もっとも、そんなことに意味はないでしょうが。

 夏なので、とりとめのない話です。

 その昔に、親戚の年寄りが言った言葉が思い出されます。「死んだ人の都合に合わせることはないんだ。生きている人の都合に合わせて供養をすればいいんだ。そういうものだ。」と。説得力のある言葉でした。

 明日は大村はま先生の会です。

[今日の記録]
睡眠時間:4:00就寝、8:30起床、4:30時間。
最高気温:30度

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