鴛鴦呼蝉庵日乗
2006.2.9  見据えることの難しさ

 細かな掃除や修正などしていて、あとはアンケート処理の一日でしたが、なかなかはかどらず。

 東京築地活版の初号明朝がどうしてフォントとして復刻されないかという疑問でしたが、見本帳をみてようやく理解。36ポイントの方が繊細な作りでした。初号だと厚ぼったくて、見出しに使うには抵抗があります。ただ、初号仮名とは相性がよさそうです。

 文部科学省が中央教育審議会で、「言葉の力」を重視する原案を提出との記事が。「言葉の力」をすべての基本的な部分に入れるということは、国語科という概念よりも、基本的なコミュニケーションや思考力育成という観点からの、考えかもしれません。原案では「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」と説明するらしいですが、その反映として、古典の音読や暗記ということは、少し離れているような気もします。多分、それは記事の問題かもしれませんので、正式な発表を見てから考えたいと思います。
  ただ、言語を使う行動にはすべて言葉の力が必要なのは当然です。教科の内容としては言葉が使われない実技系の科目も、教育活動では言葉で指示することが多いわけですから、当然言葉を理解し、表現していくことが必要になります。その基本的な部分は当然あるとしても、その部分を包含しつつ、教科としての独自性をどのようにしていくか、それはこれからの課題ではないかと思います。
  別段、中央教育審議会や文部科学省の意見が間違いということではなくて、教科の国語という考え方のどこの部分がクローズアップされているか、それを慎重に見ていくことで、時代状況と相対的な国語教育という観点から思考すべきではないかと。ゆれは当然あるのですから、それは、教育現場に入っていく学習者の社会的な背景に依存するからです。それを無視しては進歩となりませんので。
  詰まるところ、倉澤栄吉先生や大村はま先生、近くでは田近洵一先生、浜本純逸先生に共通するのは学習者の視点からの国語教育改革でした。それがあるかないかで、教科構造が変化してはならない、教科という枠と学習者の視点と教材という視点。送り手、受け手、素材、時間、空間という構成要素をどのようにつなげていくかにかかっていると思います。

 電波時計はよく時間を間違えます。どうしたものかと。

 綾部から連絡。

[今日の記録]
睡眠時間:5:30就寝、10:00起床、4:30時間。
天気:晴
最高気温:8度

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