鴛鴦呼蝉庵日乗

2006.05.17  自分なりの構造主義

 昨日の「フォント見本の表示と印刷」V8.2がサーバーエラーでファイル取得できませんでした。原因不明で、サーバーのいくつかの設定を直したら接続可能に。ファイルは存在しているのに、そのファイルを認識しなかったので、いろいろと。
  同じようなことは、MTでもあって、結局エントリーを削除してもう一度アップしたら直りました。こういうことの設定は結局、初期化にあると思います。

 昨日、どこにもアナウンスしたわけでもないのに、「フォント見本の表示と印刷」のダウンロード数がかなりに。さすがネットの力です。

 勤務先のホームページについて担当することになったのですが、どうすれば活用できるか、ここしばらく練っていくことに。使いやすい、見やすい、検索しやすいということなのですが、要するに更新を頻度にして、知りたい情報をなるべくはやく、新鮮なうちにアップするというのが一番いいのかもしれません。もう少し思案が必要です。

 アンパンマンについての話を少しここで。いつかこれはきちとん説明したいのですが。
  アンパンマンとバイキンマンがいて、もしバイキンマンがいなくなると、アンパンマンは活躍することがなくなります。すると、アンパンマンは自分頭をだれかに提供することもないですから、しばらくすると、アンパンマンは緑色になって、ある時アンパンマンの頭を割るとそこにはマリモが。黴の生えたアンパンマンは、すでに生ゴミです。そしてそのままになると、アンパンマンは腐ります。腐るとそこにはばい菌が発生します。つまり、アンパンマンとバイキンマン、実は同じ素質を持っていて、アンパンマンの時間的な延長による不敗がバイキンマンを生じることになるのでしょう。
  アンパンマンはバイキンマンがいるから存在するわけで、つまり、表裏一体、セットになっているわけです。これはウルトラマンと怪獣、ドラえもんとのび太との関係にも似ていて、善悪というのは両者がいて善悪なので片方では善悪にならないのです。そのセットなのに悪を憎むという構造を作り上げてしまっているのが、こういう作品の構造で、それは作者のせいではなく、構造的に仕組まれてしまうものです。だからこそ、アンパンマンというヒーローとバイキンマンと悪という役を演じる、それはプロレスのようであって、スポーツの試合のようであって、そして自分と他人との位置が逆転してしまう可能性を意味しています。
  実はこれが人間の思想の根幹にあるものだということにはアンパンマンはまだ気付いていないのでしょう。アンパンマンはバイキンマンを抹殺してはいけないのです。その構造には気付かずに見ていくのでしょう。
  ただ、私たちはそれを娯楽して楽しめます。娯楽という享受のスイッチが働くからです。虚構とは何かをわかっている、その虚構を楽しむスイッチがあるからこそ、虚構を現実化しないですむわけです。もし、虚構を現実化してしまうのなら、ドラマの殺人などを見て、人はどんどん死んでいきます。虚構は娯楽ということの構造を自然に体得するからです。
  虚構としてのアンパンマンと、娯楽としてのアンパンマン、そして構造の中に仕組まれたアンパンマン。それらのことを理解しなくても別に問題はないのですが、その問題に着目すると、いろいろなことが展開していきます。

 ゴシックと築地の仮名はなかなかいい組み合わせだと気付きました。

[今日の記録]
睡眠時間:5:30就寝、6:50起床、1:20時間。
天気:曇
最高気温:21度

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