鴛鴦呼蝉庵日乗

2009.09.04  公共性

 衆議院選挙の後も、様々な報道がなされ、政権交代というキーワードで、郵政民営化の時と同じような風潮なのかと思っていましたが、どうも違うようです。というのも、公共性がキーワードになってきているのではないかと。

 数日前、とある少しなじみのお店で、「最近は商店街の集金で払わない人が増えてきましたよ」ということを聞きました。その商店街では、独自の街路灯の支柱を清掃し、塗り替えるため、各商店街がお金を出し合うことになったのですが、「私の店には関係ないから」など、自分との関わりが薄いからと言う理由で、断る人も複数いるというのです。断固拒否ではなく、お断りしますという丁寧な態度だそうです。
  自分との関わりが薄いから断る。しかし、商店街の会には属している。ということは孤立しているわけではありません。その目的が、自分とは遠い所にあるのなら、自分は参加しないという、距離の問題です。この距離が公共性に関わってきます。つまり、公共性が狭い範囲になって来つつあるようです。
  もちろんそういう方は少数ですが、そういう少数の意見があると、それを排除できません。なぜなら、そういう人たちは、自ら離れるのではなく、組織には属していながら、自分の範囲ではないからというその点のみで、その集金のみを断るからです。公共性がないのではなく、公共性の範囲が狭まっているのです。
  かといって、そういう人達に公共性を唱えてるということにならないのでしょう。そうすれば、人間関係が崩れていきます。公共性が狭い範囲の方に広い視野を求めることは、自己否定になります。それゆえ、変えるとしても時間がかかります。対立見解を生じやすいからです。

 今回の政局の転換も、政治という国家レベルの公共性に対しての国民の認識が、変わりつつある兆しであると捉えるべきではないかと思います。公共事業に対して、景気回復策について、それが自分と近い距離にないからでしょう。高速道路を定額にしたのも、利用者ならまだしも、利用しない人から見れば、差別された意識が残ります。
  政治が今のままの公共事業を推進するのであれば、公共性を狭い範囲で考える人から、乖離していきます。そしてその数は今は少なくても、少しずつ広まっているのは事実です。
  ましてや、子どもたちもその影響はあるのでしょう。自分たちには関係ないから。この近辺は子どもが少ないからなど、さまざまな条件で、判断されてしまいます。

 打開する方法は難しいのですが、ただ、それをそのままにするのではなくて、コミュニケーション、特に、国を超えた世界という視野でのコミュニケーションと、将来を見据えた視野を持つこと、遠くを見ることが大切だと思います。
いわば、人と人とのつながりを深めて、広めていくことで、公共性の範囲は広がります。ただ、広がることによる利点と欠点とも理解しないと、いつの間にか、自分の立っている場所を失うことになりかねません。それは地位ということではなくて、文化とか生活とかいうレベルです。

[今日の記録]
4:00就寝、6:45起床。
天気:曇
最高気温:25度
最低気温:20度

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